湛慶阿闍梨と殺した女

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こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。

文徳天皇の御代に、湛慶阿闍梨(たんけい あじゃり)と申す僧がおりました。
この人はかの慈覚大師円仁の弟子でございます。

師の慈覚大師は、伝教大師最澄の高弟として知られております。
その慈覚大師の高弟と申すのですから、この湛慶もまた高僧に違いありません。
真言を極め、また国内外の書物、さらには諸芸にも広く通じておりました。

中でも湛慶は、加持祈祷を能くしました。
そのため、帝はもとより、様々な貴人から厚く信頼を寄せられておりました。
当時、飛ぶ鳥も落とす勢いだった藤原良房公が病に倒れた折も、この湛慶が召されて祈祷を行ったのでございます。

さて、湛慶の祈祷の験がさっそくありまして、良房公の病も快癒いたしました。
湛慶が控えの間で帰り支度をしておりますと、若い女房が現れました。

女房と言ってもかみさんではございません。
宮中や大邸宅の女中でございますが、出自はたいてい貴人の子女でございます。

若い女房は、おそらくただ命じられたままやってきたのだろうと思われますが。
湛慶に供え物の食事を運んできたのでございました。

ト、その姿を見ていた湛慶阿闍梨の心に突如、異変が生じました。
自分でも何が起きているのかわからない。
それほど、唐突で抑えがたいほどの愛欲が、むらむらと頭をもたげて来たのでございます。

ここは帝の義父にあたる天下人の邸宅。
己は世に高僧として知られる仏道者でございます。
何としても、この不可解な煩悩を抑えこまなければなりません。
口に真言を唱え、固く目をつぶりますが、心は炎のように燃え盛る。

ついに、若い女房に襲いかかり、女房もなされるがままに押し倒され――。

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あろうことか、湛慶阿闍梨は、長年の持戒をこの女房一人のために破り、破戒僧に堕してしまったのでございます。

ところが、女房の方では、それを一向、気に留める風もない。
湛慶の胸に顔を埋めて、恍惚に身を委ねている。
その姿を見て、湛慶もすっかり骨抜きにされてしまった。
ト申しますト、いかにも卑俗ではございますが、これまで一心に積み上げてきた精進が、音を立てて崩れ落ちたのでございます。

湛慶はもう、取り繕うことをやめて、若い女の黒髪を愛おしそうに撫でました。

ト、その時、ふと思い出したことがございまして。
湛慶はガバッと身を起こすト、頭を抱えて狂ったように嘆きました。

「これか。このことだったか。私はしっかり根を絶っておいたはずだったが――。そうか、このことだったか――」

気が違ったように、湛慶は女の髪をまくり上げ、首の付け根を晒し出しました。

「やっぱり――」

そこに何かを発見するト、湛慶は素っ裸のまま膝から崩れ落ちました。
女が見上げて、天女のように笑みを浮かべます。

――チョット、一息つきまして。

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コメント

  1. 深川八幡太郎 より:

    高僧の犯した罪も、修行にかけた年月も、不動明王に捧げた身も、すべてを凌駕する女との因縁。
    女と添い遂げることになる因縁そのものが明王の言うところの加護だったのでしょうか。
    となると、仏道に励むこと自体が一体何なのか、そんなことを考えさせられる話でしたな。

    • onboumaru より:

      仰るとおり、まさにその点がこのお話の妙なところで、不動明王のお告げは多分に矛盾に満ちております。
      もしかすると、そうした論理を超越したところに、このお話の恐ろしさが潜んでいるのかもしれません。