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江島屋怪談

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どこまでお話しましたか。
そうそう、江島屋から買ったイカモノの振り袖のために、娘が満座の中で恥をかき、川に身を投げたところまでで――。

残された母親は、五十両を返す当てなどありませんので。
一文無しで村を追われ、この藤ヶ谷新田のあばら家に住み着くようになったという。

「これは娘が柳の木の枝に遺した形見でございます。古着屋がイカモノを売りつけさえしなければ、娘が死ぬこともございませんでした。せめて古着屋の目でも潰してやろうと、毎晩、灰の中に目の字を書いて突き刺しておりましたが、三七、二十一日の満願という今夜、貴方に見られてしまいましたのも、何かの因果かも知れません」

ト、老婆は怨めしそうに金兵衛を見ましたが。
金兵衛は身をすくめつつも、もっと恐れていることがある。

「私は江戸で小商いをしている者でございますが、ひどい店があったものですな。それはどこの古着屋でございます。今度、代わりに探しておいてあげましょう」

金兵衛は素性を隠して探りを入れる。

「ナニ、あそこに受け取り(領収書)がございます。忘れもしない、江島屋と申す悪商人でございます」

ト、老婆が指差したのは、五寸釘を打ち込まれた柱の紙で。
ここへ偶然にも泊まり合わせたのは、老婆の執念のなせるわざか、さてまた己の因業か。
いずれにしても、金兵衛はぞっと身の毛がよだちまして。
適当に取り繕うと、老婆の家を立ち去った。

さて、江戸へ戻りますと、店先に簾を掛け、「忌中」と記してございます。
店の者にわけを聞きますト、あの後おかみさんが急病で亡くなったとのことで。
さらに、その通夜に店の小僧が穴蔵――地中に掘った物置でございますナ――に落ちて死んだという。

家中はご検死やらお弔いやらで慌ただしい。
また、その後は特に変わったこともございません。
主人に老婆の話を切り出せないまま、時が過ぎていきました。

そろそろ金兵衛も例の一件を忘れかけていた頃のこと。
その日は、夜から降りだした雨が徐々に大降りになっていきまして。
主人の治右衛門は、ちょっと調べたいことがあるト言って、金兵衛を連れて蔵へ入る。
女物の着物が積んである棚の一角に、ふと人影が見えました。

そこにうずくまっていたのは、全身をびっしょりと濡らした若い女。
着物の腰から下がちぎれているのを、隠しているような格好で。
文金の高島田の鬢から、ほつれ毛が頬に絡みついている。
袖のない振り袖の、肩の部分を引き寄せて、顔を覆って泣いている。

ふと金兵衛が思い出しましたのは、この日が十月三日だということで。
ちょうどお里という娘が川に身を投げたという命日でございます。

金兵衛は途端に身震いがして、

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」

ト唱えると、主人を置き去りにして、店に帰ってしまった。

後から主人が呆れた様子で帰ってきます。
金兵衛は火鉢に当たって、ぶるぶる震えている。




「金兵衛さん、一体どうしたんだね。急に雨の中を駆け出して行ったりして」

そこで金兵衛は、今まで黙していた藤ケ谷新田での一件を、かくかくしかじかと語りました。

「婆さんはこうやって、囲炉裏の灰に竹火箸で字を書きますと、うッと一突きに――」
「いたっ、いたたたたた――。金兵衛さん、突然何をする」

見ると、主人が目を押さえている。

「いえ、私は何も――。ただ、婆さんの真似をしているだけで――」

ト、金兵衛も狐につままれた思いで、もう一度繰り返します。

「おのれ、江島屋――と、竹火箸をザッ」
「いたっ、いたたたたた――。金兵衛さん、やめておくれ」

主人はもう一方の目を押さえて、呻いております。
金兵衛も驚いて火箸を投げ捨てる。
ト、庭に人の気配がありましたので、見やりますト。
痩せこけた例の老婆が、植え込みの辺りにうずくまっていた。

かと思うト――。

ぴょんと飛び上がって、一息で縁側に上がってきました。

これも全身ずぶ濡れで、怨めしそうに金兵衛をにらむ。
金兵衛はそのまま気を失ってしまいました。

この後、江島屋は不幸が続きまして。
お里の死から五年後、店から火事を出し、ついに潰れてしまいました。

零落した主人の治右衛門は、その後も老婆の霊に付きまとわれまして。
最期は糊付けした着物の裾がちぎれて、溺死したという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(三遊亭圓朝作ノ長編落語「鏡ヶ池操松影(かがみがいけみさおのまつかげ)」中ノ一段ヨリ。通称『江島屋騒動』)

コメント

  1. 深川八幡太郎 より:

    恥というものは時と場所でだいぶ違うものでございますな。
    今でしたら笑い話の一つにもなるようなことが、生き死にの話になり、さらに積年の怨みにまでなるという。
    つくづく今の世に生きる厚顔でよかったと思う次第です。

    • onboumaru より:

      とは言え、婚礼の席で腰から下が突然下着一枚というのは、現代でもかなりの衝撃でございますよ。
      ちなみに、典拠の速記本では「十四、五の折、一度か二度締めた縮緬の土器色(かわらけいろ)になった短い湯巻(ゆもじ)が顕れ――」と、貧乏のため三年ほど身につけっぱなしの汚い下着が丸見えになったので、ということになっております。