::お知らせ::  [ 画師略伝 ] 「月岡芳年 ―血みどろ絵師は「生」を見つめた―」を追加しました

死美人の匂い

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どこまでお話しましたか。
そうそう、新妻の死を認められない定基が、亡骸の口を吸い続けた末に、その死臭のおぞましさに気付かされるところまでで――。

ちょうどその頃、三河国では風祭りと称する収穫祭が行われておりました。
その祭礼に生け贄としてまず連れてこられたのは、猪でございます。
生け贄ですから、神の前で生きたままにさばきます。
猪は必死に抵抗する、悲鳴を上げる、人々は押さえつけて皮を剥ぐ、肉を切る――。

その様を見て、定基は深い感慨に浸ったように呟きました。

「確かに、死んだばかりの時が、活きがあってもっとも良い」

次に、ある人が生け捕りにした雉を持ってきて、定基の前に捧げました。
雉は己の運命をまだ知らぬと見えて、クッククックと呑気に鳴いている。
定基はじっと雉を見つめておりましたが、やがて口を開きますト、

「どうだ。これを活き造りにしたら美味かろうと思うが」

神ならぬ人の身で、獣の活き造りを食べたいなどと申します。
これには人々も内心呆れておりましたが。
配下の役人たちは、自身の出世がかかっておりますので。

「なるほど。それは良いお考えで」

などと、しきりに持ち上げます。

時ここに至って、ようやく雉の方でも事態の深刻さに気づいたようでございましたが。
もはや時すでに遅しで、嫌がる雉を人々が押さえつける。

「まず、毛をむしってみよ」

定基の命で雉の毛が乱暴にむしられる。
雉は人々に命乞いをするように、あちらこちらを見回しながら、しきりに瞬きをしております。
あまりの光景に耐え難く、席を立つ者もありましたが。

「よく鳴く鳥だわい」

ト、手を叩いて笑っている者もある。

雉は丸裸にされますと、いよいよ刀を突き刺されまして、そのまま身を切り裂かれていった。

「まだ息があるな。よし、刺し身にしろ」

雉は悲鳴を上げながら息絶えまして、細切りの切り身におろされました。

定基はこの一部始終をじっと見守っておりましたが。
人々がうまいうまいと言って食べている中、自身はまったく口にいたしません。
そして突然、呻き声を上げたかと思うト、声を荒げて大泣きし始めた。

定基はその日のうちに、国司の職を辞して出家しました。
己の浅ましさに耐えられなかったのでございましょう。
後に三河入道と呼ばれたのは、実にこの人のことでございます。

その後、入道は都で托鉢の日々を送っておりましたが。
ある時、さる貴人の邸宅に呼ばれ、斎(とき)を受けることになりました。
精進料理を施されたというわけですナ。

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庭に畳を敷き、そこに料理を運んで、どうぞこちらでお召し上がりくださいト言う。
ありがたくいただこうと畳に坐すと、座敷の中の簾がするすると巻き上げられた。
その内に、美しい装束をまとった女がいる。
見ると、かつて離縁した妻でございます。

「こうして地を這いつくばる姿を、きっといつか見てやりたいと思っておりましたが、思いの外早く実現いたしました」

ト、澄まして言う。

昔の妻が、入道を見下すように笑みを浮かべております。
ふと、椀を見ますと、豆や根菜などの陰に隠すように、生魚の切り身が添えられている。

「邪淫を気になさらないくらいですから、肉食などなんでもないでしょう。大津から届いたばかりの新鮮な魚でございます」

ト、貴人の妻はうそぶきましたが。

入道は、じっと黙って目をつぶる。
かつての妻がその様子をおかしげに見守っている。

眉を顰めて動かない入道。
どんな思いを描いているのか、額に冷や汗がにじみます。

やがて――。

躊躇に躊躇を重ねた末に、そっと魚に箸を伸ばしますト。
くんくんと鼻先で匂いを確かめまして。
安心したように頬を緩ませながら。
ちゅるちゅると吸い込むように口に入れました。

それから、しばらくの間、目をつぶり、舌の上で転がすようにして賞味しておりましたが。
これは、ついつい懐かしい感触を思い出していたのかもしれません。

その後、ようやく呑み込みますト、ただ一言、

「結構なお味でございます」

ト、答えたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「宇治拾遺物語」巻四『三河の入道遁世の事』ヨリ)

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コメント

  1. 深川八幡太郎 より:

    入道は何を思い、何を味わっていたのか。出家僧がかつての屍との悦びを再び思い出したとは、ちょっと考えにくい。であれば、元妻からの仕打ちも含めて、入道はその先に何かを思っていたのかもしれませんな。

    • onboumaru より:

      実は、今昔物語にも同じ話が収められているのですが(宇治拾遺物語版は、今昔物語版から前半部分を切り取ったもの)、当該部分はどちらも「元妻の仕打ちにどう答えるのか」が主題になっております。
      入道は何を思ったんでしょうナ。