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貧者と菊の姉弟

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どこまでお話しましたか。
そうそう、菊の趣味を通じて陶姉弟と知り合った馬子才が、二人の霊妙な栽培のわざを目にするところまでで――。

子才は、陶姉弟の育てた菊の素晴らしさに心を惹かれて、翌日も小屋を訪ねました。
すると、昨日挿し木をしたばかりの枝が、もう立派に成長している。
子才は驚いて、どうかそのわざを伝授して欲しいと頼みましたが。

「これは教えようとして教えられるようなものではないのですよ。あなたはお金のために菊を育てるような方ではないでしょう。こういうことは我々二人に任せていらっしゃい」

ト言って、笑っているばかりでございました。

それから四、五日して客足が途絶え始めますト。
陶は菊の苗を数台の荷車に載せ、突然どこかへ去ってしまった。

それから半年もの間、陶は姉を馬家の小屋に残したまま、帰ってまいりませんでしたが。
翌年の春に、ふらりと南方から珍しい菊を車いっぱいに積んで帰ってきました。

驚いている子才をよそに、陶は花屋を開きまして。
十日でそれを売り切りますト、また馬家の庭に籠もって菊を育てる。

そんなことを繰り返しまして、陶姉弟はどんどん豊かになっていきました。
家主の子才に相談もなく、小屋を増築し、その翌年には立派な屋敷に建て替える。
手作りの菊畑は、陶姉弟の邸宅に変わりました。
代わりに陶は、隣接する土地を買い取って、そこを新たな菊畑にしたようでございます。

その年の秋が過ぎますト、陶は例のごとく菊を車に積んで去って行きましたが。
今度はどうしたことか、翌年の春になっても戻ってきませんでした。

さて、長らく陶のいない日々が続くうちに、子才がふと気づきましたのは。
この広い馬家の敷地に、住んでいるのは自分と美しい黄英二人だけということで。

日が経つにつれて、子才は黄英がどうしても意識される。
人づてに探りを入れてみますト、黄英の方でも子才を気にかけているという。

それでも弟の手前もございます。
子才は陶に会って思いを打ち明けようと、その帰りを待ち続けた。

その間、黄英は弟と全く同じやり方で、菊を育て、富を増やしていきました。
やがて土地を買い増しまして、姉弟の屋敷はますます立派になっていく。

そんなある日、突然、子才のもとへ南方より手紙が届きました。
陶からの手紙です。
開けてみると、そこに奇妙なことが書かれてある。

「あれから四十三ヶ月が経ちました。どうぞ、姉を嫁に迎えてやってください」

数えてみると、確かにその日があのやり取りからちょうど四十三ヶ月目で。

子才がその手紙を黄英に見せますと、女の方では一切をすでに承知している様子です。
子才の家が狭いことを理由に、自分のところに婿入りして欲しいと言い出した。

これにはさすがに子才も、男としての自尊心というものがございますから。
なんとか説得して黄英を嫁に来させました。

黄英は黄英で、子才の家の南面の壁に、勝手に扉をこしらえまして。
いつでも南の庭の邸宅と行き来できるように作り変えてしまった。
そうして、子才が制するのも聞かず、南の屋敷から家財道具を運んでこさせます。

やがて黄英は、大工を呼んで二つの家の間に建物を建て始めまして。
数ヶ月もすると、子才のあばら屋と陶姉弟の屋敷は一つにつながってしまいました。

黄英は菊を売ることこそやめましたが、子才の暮らしはすっかり贅沢になりましたので。
子才はなんだか悲しくなり、妻の黄英に訴えました。

「私は数十年間、清貧を旨として暮らしてきたが、お前と出会ってその志もすっかり堕落してしまった。これでは妻に食わせてもらっているようで、夫として情けない。金などいらないんだ。もう一度、貧乏に戻りたい」

それを聞いて、黄英はこともなげに答えます。

「あら、それならどんどんお金をお使いになればいいのに。私だって必要ありませんから、あなたが好きなだけ使っておしまいなさい。使えば使うほどなくなりますよ」

それ以来、子才は富やら清貧やらにこだわること自体をやめました。




夫婦が仲良く暮らし始めますト、それを待っていたかのように陶がふらりと帰ってくる。
もう以前のように菊を育てることもやめ、毎日子才と碁を打ったり酒を呑んだりして楽しく暮らしました。

ある時、陶はしこたま飲んだ末に泥酔してしまいまして。
菊畑の中で、衣を脱いで裸になったかと思いますト。
足を取られて躓き、バタンと倒れこんでしまいました。

ト、その様子を見ていた子才が、思わずあっと声を上げた。

菊畑に倒れこんだ陶は、そのまま一本の菊になってしまったのでございます。

騒ぎを聞いて黄英が駆けつける。
弟だった菊を引き抜いて地面に横たわらせ、

「まあ、こんなに酔うまで飲んで」

ト、介抱するように衣をかけてやった。

「行きましょう。もうこれ以上、見ないであげてくださいませ」

翌朝、子才が一人で菊畑へ行ってみると、そこに陶が鼾をかいて眠っている。

子才は、その時ようやく姉弟が菊の精霊であることを悟りました。
菊を愛でる自分のために、暮らしを支えてくれたのに違いない。

姉弟がそのことを隠している様子だったので、陶もあえて知らぬふりをしておりました。

それからしばらく経ったある晩のこと。
またもや、陶が酔いつぶれてしまいました。
菊畑の中を千鳥足でふらふら歩く。
いつかのように躓いて倒れこむト、一本の菊になってしまった。

さすがに二度目なので、子才も今度はさほど驚きません。
以前、黄英がしていたのを思い出しながら、菊を引き抜いて地面に横たわらせた。

そうして、様子を見守っておりますト――。

どういうわけか、陶の菊は徐々に葉がしおれ始めます。

子才はゾッと青くなる。
慌てて妻を呼びに行きました。

駆けつけた黄英は、

「しっかりなさい、しっかりなさい」

ト、弟に呼びかけ続けましたが。

陶の菊は、みずみずしさを取り戻すことなく。
そのまま根も葉もすっかり枯れてしまいました。

黄英は、これまで見せたことがないほどに悲嘆に沈みまして。
子才は恩人を枯らしてしまったことを、生涯悔み続けました。

黄英はせめてもト、弟の亡骸を茎のところから摘み取り、鉢に植える。
毎日、夫婦で水をやっておりますト、徐々に芽を伸ばし、九月に花が咲きました。

茎の短い白い花で、ほのかに酒の匂いが漂います。
二人はその花を「陶酔」と名づけて愛でたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(清代ノ志怪小説「聊斎志異」巻十一ノ十二『黄英』ヨリ。太宰治「清貧譚」ノ原拠ト云フ)

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