小幡小平次

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こんな話がございます。

元禄十七年、初代市川團十郎は、舞台上で亡くなりました。
市村座での興行中に、杉山半六ト申す役者に刺されたものでございます。
二代目を継ぎましたのは、初代の実子、九蔵でございました。

さて、この時代に、名を小幡小平次(こはだ こへいじ)ト申す役者がおりまして。
小幡(こばた)と書いて、どうして「こはだ」と読むのかト申しますト。
ひとつには故郷である小幡村にちなんだということもございますが。

師匠の名が「鰻太郎兵衛(うなぎ たろうびょうえ)」と申しまして。
これは森田座の創始者ともなる当時の名優でございます。
対して、弟子の小平次は芝居が非常に下手でございまして。
うまい鰻に対して、まずい小鰭(こはだ)ということで、こう呼ばれたそうでございます。

この小幡小平次でございますが、ある女と深い仲になり、妻にいたしました。
それが、あろうことか、初代團十郎を刺して処刑された半六の後家、お塚です。
ただでさえ芝居のまずい小平次が、文字通り二代目ににらまれることトなりまして。
江戸の歌舞伎からは声がかからなくなり、田舎芝居を回って日銭を稼ぐようになりました。

ただ、この小平次には、ひとつ特技と呼べるものがございます。
これがために、江戸ではダメでも、田舎からはしょっちゅう声がかかりました。
何かト申すに、幽霊役でございます。
どれだけ幽霊役がうまかったかと申しますト、こんな逸話がございます。

奥州の南部領に逗留していた時のこと。
ある商家の娘が、乞食僧に殺される事件が起きましたが。
捕まったのは僧ではなく、恋人の山井波門という男でございました。
これは波門に嫉妬した土地の若い衆が偽の証言をしたためで。

代官は真の下手人が乞食僧であることを見抜いている。
何とかして証拠を掴みたいと機を狙っております。
一方の乞食僧は、女を殺して手に入れた櫛、笄(こうがい)を金に替えようと、家を出た。
ト、河原を通りかかったところで、人影に出くわしました。

殺した娘の怨霊でございます。
死んだ時そのままの姿で、葦をかき分けて現れますト。

「櫛を返せ。笄を返せ」

ト、恨めしそうに迫ってくる。
その凄まじい表情に乞食僧はわなわなと怯えだしまして。
震える手で懐から櫛笄を取り出すト、娘の怨霊に投げ返そうとする。
ト、そこで役人に捕らえられて御用となりました。

この娘の怨霊こそが、実は小平次で。
代官に頼まれて、河原で待ち伏せていたのでございます。
小平次はこの功によって、金五両を頂戴しました。

この時、妻のお塚は遠く江戸の長屋で夫の帰りを待っておりましたが。
それはあくまでも表向きでございます。
お塚には実は姦夫がある。

小平次の芝居仲間の鼓打ち、安達左九郎(あだち さくろう)ト申す、ならず者。
この頃は仕事をせずに、小平次の留守宅に亭主づらをして暮らしておりました。

「ねえ、お前さん」

ト、お塚は左九郎をまるで夫のように呼ぶ。

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「そろそろ、小平次をやってしまっておくれよ」

杉山半六に團十郎刺殺の凶行をそそのかした――。
そんな噂もあるほどの毒婦です。
大根役者の夫を殺すくらいは、わけもない。

「そうだな。俺もそろそろかたをつけようとは思っていた」

ト、こちらも相当の悪人で。

左九郎は小平次が安積郡笹川の宿にいると伝え聞きますト。
かの地には、賊の頭領をしている雲平(うんぺい)と申す兄がおりますので。
この力を借りて、小平次を亡き者にせんと、江戸を出発いたしました。

一方の小平次は、南部領で代官から五両の褒美を頂きましたのち。
田舎芝居に誘われて笹川宿に来ておりました。
そこへ、久しぶりに現れましたのが、かの悪人、安達左九郎で。

小平次は、まさか朋輩が自分を殺しに来たとは知りませんから。
興行主に掛けあって、左九郎を鼓打ちとして雇い入れてもらいました。

ところが笹川宿では、その後、雨の日が続きまして。
田舎芝居は文字通り、露天でございますから。
興行は数日間、中止の日が続きました。

役者たちはみな、宿の中で暇を持て余しております。
近くには安積山(あさかやま)、安積ノ沼、信夫山など、名所がたくさんございますが。
旅役者に風流人などございません。
毎日、酒を飲み、囲碁将棋を打つなどして、雲の晴れるのを待っている。

小平次は、酒も飲まず囲碁将棋も打ちませんので、退屈で仕方がございません。
左九郎は目ざとくその様子を見て取りまして。

「どうだ。小雨になったら、安積ノ沼に釣りにでも行かないか」

ト、小平次を誘いました。
小平次は元来釣り好きでございますので。

「よし、行こう。少しの雨くらいなら平気だろう」

ト、すっかり乗り気になりまして。
二人は笠と蓑をまとい、弁当と酒を用意して、さっそく安積ノ沼へ出掛けました。

――チョット、一息つきまして。