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大岡政談 白子屋お熊

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どこまでお話しましたか。
そうそう、浪費のために傾いた店を立て直すため、母のお常が美貌の娘お熊に、持参金付きの婿、又四郎を迎えたところまでで――。

お常とお熊の母娘は、用済みとなった又四郎を追いだそうと画策いたしましたが。
又四郎は地味ながら、真面目で忠義者でございます。
夫としても、義理の倅としても、また商家の若旦那としても、まるで非の打ち所がございません。

単に離縁をすれば、持参金の五百両を付けて帰さなければならない。

そこでお常はまず、病死を装おうことを思いつきまして。
出入りの按摩、横山玄柳を言いくるめ、密かに毒薬を盛らせようといたしましたが。
これは、察知した飯炊きの下男によって、未然に防がれて終わりました。

それ以来、又四郎の方でも、お常お熊の母娘を警戒するようになる。
こうなると、お常も下手に手を下すことが出来ません。

母娘と忠八、それに下女お久も加わって、額を寄せあい謀議をする。
四人の悪党が、夜ごと浅知恵に浅知恵を重ねまして。
窮余の一策として編み出されたのが、ニセの心中騒動でございました。

下女の中に、お菊ト申す娘がおりました。
年はまだ十六で、性質は控えめではありますが。
色白で目鼻立ちの整った娘でございます。

これを又四郎の密通相手に仕立てあげまして。
叶わぬ恋を二人が嘆いて心中した――。
ト、いうのが筋書きでございます。

若主人が下女と密通の上に、心中までしたトなりますト。
養子に迎えた白子屋は、むしろ被害者トいうことになる。

お菊はある日、突然お常に呼びだされて、こう言いわたされました。

「この剃刀を持って若旦那の寝間に忍び込んでおくれ。首元にちょっと傷をつけてくれればいい。心中を迫られたことにするんだよ。その後は座り込んで泣いていればいい。全て内々で済ませてやるからね。心配しないでいいんだよ。分かったね」

突拍子もない命令に、お菊は恐怖を覚えて震えだしました。

「な、何のためにそんなことを」

お常は、素直に離縁の計画を打ち明ける。

無能な若旦那を追い出すことが店のためであり、ひいてはお前たち奉公人のためでもある――。

お菊には、もっともらしくそう諭して聞かせましたが。
実は、又四郎の喉に剃刀を突き立てるのを見計らいまして。
四人が押しかけ、二人とも殺してしまう算段でございます。

下女のお菊は、そんな恐ろしい企てのあることなど知りません。
お菊にとっては、お常に睨まれると行く宛がない。
ただそればかりが心配でございますから。
「ちょっと傷をつけるだけ」との言葉を、闇雲に信じるよりほかにない。

決行の晩。
お菊は事前に渡された剃刀を手にして、暗い廊下を歩いて行く。
剃刀が月明かりを受けて鈍く光る。
お菊の手はブルブルと震えております。

やがて、又四郎の寝間に着く。
スーッと障子を静かに開ける。
人のよい四十の若旦那は、すやすやと寝息を立てている。

お菊はその枕元に座りまして。
じっとその寝顔を見ておりますト。
不憫な若旦那が、だんだん本当の情人のように思えてくる。

不意に若旦那の寝息がピタッと止まる。
お菊はドキッとして、剃刀を落としそうになる。
再び、安らかな寝息が聞こえてまいりました。

もう躊躇してはいられない。
早く、傷を軽く付けて、ここから逃げ出したいト。
お菊はほとんど泣き出しそうになりながら、剃刀を若旦那の喉元に当てました。




ト、その手を突然強く握った者がある。
他でもない、目の前で寝ている若旦那でございます。

「誰か、来てくれッ。人殺しだッ」

思いもよらぬ大声が、家中に響き渡りました。
たちまち、家内は大騒動となる。
その騒ぎは家内だけに収まらない。
深夜の町内にも知られる一大事件となりました。

又四郎は、かねてからこの様な日の来ることを見抜いておりましたので。
この晩も耳をそばだて、待ち構えていたのでございます。

金づるにされた男の恨みは凄まじく。
又四郎は翌日のうちに、町奉行に訴え出る。
時の奉行は、かの大岡越前守。

捕らえられたお菊は、初めこそ泣きじゃくって、ものも言えずにおりましたが。
越前守に優しく諭された末に、お常に言いくるめられたことをついに自白いたしました。

こうして、関係した白子屋の主従は、みな裁かれることとなりまして。

店主の庄三郎は監督不行き届きを問われまして。
また、按摩の玄柳は毒盛りの一件に手を貸した罪で。
二人はともに江戸追放となる。

古株の下女お久は、お熊に忠八との密通の仲立ちをした罪で、町中引廻しの上、死罪。
密通に関する罪は、これほどまでに重いものでございます。

その密通の張本人である手代忠八は、町中引廻しの上、獄門。
これは御存知の通り、晒し首でございますナ。

お熊は密通に夫を殺害しようとしたという重罪でございます。
これは当然、町中引廻しの上、獄門トなる。

お常は遠島となりましたが、これはその罪が養子殺しの企図だからでございます。
立場は親のほうが上ですから、致し方がございません。

お菊はどんな事情であれ、下手人には違いありませんので、死罪を言い渡されました。

こうして、それぞれ沙汰が下りました。

江戸一番と評された美人お熊が、市中を引き回されるとありまして。
当日は沿道に黒山の人だかりでございます。
そこへ裸馬に乗せられて、お熊が姿を現しました。

――ト、その姿を見て、観衆はみな息を呑んだ。

ただでさえ、美しい二十三の女です。
それが、白無垢の襦袢に高価な黄八丈の小袖を着て、首から水晶の数珠を下げている。
とても罪人とは思えない出で立ちでございます。
口には「南無妙法蓮華経」と唱えているのが遠目にも分かる。

華美好みの美女が最期に演じた、一場の芝居のようでございました。

一方、巻き込まれた形のお菊は、単に死罪ですから、市中を引き回されることもございません。
誰も関心を示さぬまま、牢屋敷内でひっそりと刑に処されたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「大岡仁政録」『白子屋お熊の件』ヨリ。講談、落語「白子屋政談」「城木屋」、歌舞伎「梅雨小袖昔八丈」、浄瑠璃「恋娘昔八丈」等ノ原拠ナリ。芝居ニ於イテハ「白木屋お駒」ト呼ビ替エラル)

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