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井戸の底に棲む女妖

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どこまでお話しましたか。
そうそう、過去に多くの人間が命を落とした井戸の底に映った女が、みずから陳仲躬のもとを訪れるところまでで――。

敬元頴と名乗った女は、訴えるような眼差しで。
陳仲躬に向かって、静かに語り始めました。

「あの井戸には、凶悪な龍が棲み着いているのでございます。
漢代にあの井戸が掘られた時より、今日まで棲み続けている毒龍でございます。
洛陽には五尾の毒龍がおりますが、あれはそのうちの一尾にございます。

天帝配下の龍と通じておりまして、この小さな井戸の中で我が物顔をしております。
人間の血を何よりも好み、漢代以来、すでに三千七百人もの命を奪ってまいりました。
それによって力を得て、いつまでも水が枯れることがないのでございます。

私は唐朝の初め頃にあの井戸に落ちまして。
以来、あの龍に使役される身となっております。
人を幻惑して誘い込み、毒龍の餌として差し出すのでございます。

本当に情けなく、辛い毎日でございます。
それでも、囚われの身ですので、どうすることも出来ません。

ところが、昨日のことでございます。
天帝の使者が代替わりとなりました。

天下の龍神が皆、召しだされることになりまして、あの龍も昨晩出て行きました。
旱続きでも枯れることのなかった井戸が、突然枯れたのもそのせいでございます。

おそらくあと三、四日は戻りはしないでしょう。

そこで、あなた様にお願いがございます。
どうか、今この隙に、私を助けだしてくださいませ。

私は井戸の底に沈んでおります。
井戸を浚って引き上げてくださいましたら、御恩は一生かけてお返しします。
世間の事柄でしたら、叶えられないことはございません。
なんなりとお望みください。

その代わり、どうか必ず――」

女はそう告げるト、途端に姿が見えなくなりました。

陳仲躬は不思議に思いながらも、すぐさま職人を招いて井戸を浚わせました。

家内の者を職人と一緒に井戸へ入らせてみるト。
底に奇妙なものが見つかりました。
それを拾わせて引き上げてみますト。
果たしてそれは、古い銅鏡でございました。

大きさは七寸八分、ちょうど人の顔と同じくらいでございましょうか。
仲躬はきれいに洗わせて、箱の中に丁重に収めた。
さらに香を焚きしめて、これを清めもいたしました。

その晩、敬元頴が再び仲躬の元を訪れる。
まっすぐに燭台のもとまでやってくると、深々と仲躬を拝した。

「この御恩、決して忘れはいたしません。もうお気づきかとは存じますが、私は鏡でございます。とはいえ、ただの鏡ではございません。かの師曠(しこう)が鋳造した十二枚の鏡の、第七番目の者でございます。師曠は大小様々の鏡を作りましたが、私が作られたのは忘れもしない、七月七日午の刻でございます。今から百年ほど前に、ある女が私を胸にいだいて井戸に身を投げました。それが私の運の尽きでございます。女は誰にも気づかれぬまま朽ちていきました。遺された私が毒龍に使役される身となったのでございます」

師曠ト申しますト、春秋時代の琴の名手でございます。
仲躬にとっては、千年以上も昔の伝説中の人物です。
にわかには信じがたい思いで、元頴を見ておりますト。

「明日の夜明け前に、ここをお発ちになってください」

ト、女が言いました。

「突然、何を言い出すんだ」




仲躬は戸惑って問い返す。

「最初のご恩返しがこれでございます。新しいお宅は用意しておきますから、ご心配なさらずに」

そう言って元頴が立ち去ろうといたしますので。
思わず仲躬は、袖を掴んで引き留めた。

「待ってくれ。話はわかった。だが、君のその美しさは、一体どこから来ているんだい」

するト、元頴はにっこりと笑みを浮かべまして。

「私は鏡です。見目形など、なんとでもなるものですよ」

ト、言い残すト、麗しいその姿は霧のように、はかなく消えました。

翌朝早く、仲介人が家主を連れて仲躬のもとへ慌ただしくやって来まして。

「今すぐ立ち退いてもらいたい」

ト、ぶしつけに申します。

仲躬は困惑いたしましたが、昨夜のこともございましたので。
言われるがままに、仲介人が用意した立徳坊という地の家へ、引っ越して行きました。

それから三日後に、もとの家は天井が突然落ちて崩壊したそうで。
下人も全て連れて来ておりましたので、被害は一切ございませんでした。

その後、仲躬は出世して高官に抜擢されました。
ここに至って初めて仲躬は、元頴が本当に鏡の精であることを知りました。

件の鏡は、香を焚きしめた箱に、いつまでも大事にしまってある。
鏡の裏には、漢代の書風で、

「維晋新公二年七月七日午時于首陽山前白龍潭鋳成此鏡千年在世」
(晋の新公の二年、七月七日午の刻、首陽山の前、白龍潭において、この鏡を鋳せり。千年、世に在らん)

ト、書かれてありました。

その後、元頴が姿を表すことは、二度とございませんでした。

仲躬は時々、鏡を取り出してみましては。
あの時最後に見た、元頴の笑みを思い起こしましたが。

懐かしさも愛おしさも、すべて実在しない姿によるト考えますト。
仲躬はなんとも言えない切なさに、胸が締め付けられる思いであったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(唐代の伝奇小説「博異志」中ノ一篇『敬元頴』ヨリ)

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