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近江の女のいきすだま

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どこまでお話しましたか。
そうそう、美濃、尾張へ下ろうとしていた下臈が、見知らぬ女に夜道を案内するよう頼まれたところまでで――。

女が不意に姿を消しましたので。
男は、もしかするともう門から入っていったのかもしれないト。
門を見てみましたが、固く閉じられておりました。
開いた気配はどこにもない。

そうなるト、突然身の毛のよだつような恐怖に駆られまして。
夜道を妖物とともに、はるばる歩いてきたかト思いますト。
ガクガクと足の震えが止まらない。

ト、屋敷の中で、突然、悲鳴が上がりました。

女の悲鳴ではございましたが。
先ほどの女とは明らかに違う。
下女か何かの声でございましょう。

それに引き続いて、家内がにわかに騒がしくなったのが分かりました。

下人らしき男が、慌てた様子で門を開いて飛び出してくる。
男はそれを掴まえて、

「今、女の方をこのお屋敷にお連れしたのだが、何かあったのか」

ト、問いますト。

下人は眉をひそめて、男を見まして。

「さては、お前か」

ト、申します。

「余計なことをしてくれた。我が殿が、長年悩まされてきた生霊(いきすだま)に、ついに取り殺されてしまったのだ」

そう吐き捨てるや、どこへか走り去って行きました。
人を呼びにでも行ったのでございましょう。

男は、それを聞いて、ますます足がすくみます。

その家の下人の中に、他に知っている者がおりましたので。
せわしなく辺りをうろつきながら、夜が明けるのを待ちまして。
日が昇るや否や、人を介してその者を呼び寄せてもらいますト。

「近江国で情をかけたことのある女が、生霊となって殿に長らく取り憑いていたのだ。殿も患われて床に臥せっておられたが、今日の明け方ごろだ。突然、『近江の女が来た』と大声で叫ばれたかと思うと、そのまま虚しくなられてしまった。俺は生霊など信じたことはなかったが、こうしてみると本当に人を殺すことができるものなんだな」

男は話を聞いているだけでも、何か自分まで頭痛がするように思いまして。
その日は出立を取りやめて、再び家に戻りました。

それから、三日ほど経ったころ。
いつまでも先延ばしにするわけにもまいりませんので。
ついに重い腰を上げて、京を出ましたが。




道中、ふと思い起こされるのは、やはりあの女の柔和な笑みで。
それが、衣に焚きしめた香の芳しさとともに甦るものですから、たまりません。

怖いもの見たさと申しましょうか、愛おしさと申しましょうか。
袖振り合うも多生の縁トは申します。

下臈は、いけないとは思いつつ、どうしても足がそちらへ向く。
通り道であったこともあり、女の言っていた近江の某所へ、つい立ち寄った。

そこには確かに、しかじかという者が住んでおりまして。
娘がともに暮らしているとのことでございました。

男は離れたところから、女の住む屋敷を眺めました。
土地の有力者らしく、大きな屋敷でございます。

ト、その時、門が開きまして。
中から牛車がゆっくりと出てまいりました。

男は誘われるようにして、牛車の方へ向かっていく。
牛車も男の方へ向かって近づいてまいります。

そして互いにすれ違った時――。

男は牛車の方をちらりと見る。
御簾が下がっていて、中は見えませんでしたが。

時しも、風がふわりと吹いてまいりまして。
その御簾を軽く揺らしました。

ほんの小さな隙間から。
一瞬、見えたのは、件の女の姿でございます。
外の景色には関心がない様子で、こちらをまるで見もしない。

男がそのまま通りすぎようといたしますト。

「あなた――」

ト、女の声が不意に男に呼びかけました。

顔を上げるト、そこには例の柔和な笑み――。
ではございません。

魔物の本性を顕したような。
ニヤリとおぞましくも冷たい笑みが。
じっとこちらを見据えていたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「今昔物語集」巻二十七第二十『近江国の生霊京に来たりて殺人語』ヨリ)

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コメント

  1. 伊集院華丸 より:

    新年の記事期待してます!わくわく。

    • onboumaru より:

      ありがとうございます。
      新年の更新はもう少し先になりそうです。
      楽しみにお待ちくださいませ。