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むくむくと腫れ物に触るよう

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どこまでお話しましたか。
そうそう、旅の途中で宿を借りた民家の一室から、夜中に「むく、むく」と呻き声が聞こえてきたところまでで――。

「して、その『むく、むく』とは、一体どういったわけで」

腫れ物との関わりがよく分かりませんので。
僧もかように訊くより他にございません。

「先程も申したとおり、十二年前のことでございます」

平六左衛門が、面目なさそうに重い口を開きます。

「初め、親父の右肩に腫れ物が一つ出来ました。その時は特に誰も何とも思っておりませんでした。それが、しばらくして左肩にも同じような腫れ物が出来て以来、妙なことが起きるようになったのでございます」
「妙なことと申しますと」
「どちらの腫れ物も、徐々にしぼんでいったかと思うと、そのまま大きな穴となりまして。まず、左の穴が親父に呼びかけたそうでございます。『こち向け』と」
「なんと――」

これには、僧も肝をつぶしました。

「そこで親父が言われたとおりに左の穴のほうを向きますと、今度は右の穴が呼びかけるのです。『こち向け』と」
「して――」
「しかたがないので、右を向きます。すると今度は、また左の穴が『こち向け』と親父を呼ぶ。右を向けば左の穴が、左を向けば右の穴が呼び戻します。それが今年でもう十二年でございます」

うんざりしたように、平六左衛門がため息をついた。

「それで、ご尊父は」
「十二年間、昼もなく夜もなく、ちょっと息つく間もございませんで、右に左に顔を振り続ける毎日でございます。近頃では、気がどうにかなってしまいまして、呼ばれる前から『向く、向く』と、どちらにともなく許しを請うているのでございます」

これで、ようやく僧にも「むく、むく」のわけが知れました。

「最初の五、六年は療治もしました。祈祷も頼みました。しかし、まるで効き目もございません。それで私も父も疲れきってしまいまして、『向く、向く』とうなされ続けている親父を、この数年は放ったらかしにしているのでございます」

僧は父子を哀れに思い、ともかくも当人に会ってみようと申し出た。

「お父っつぁん。尊いお坊様が見てくださるから、おいでなさい」

平六左衛門が呼ぶと、しばらく経って障子がすっと開きました。

そこに現れたのは、虚ろな目付きで顔を左右に振り続けながら、

「向く、向く」

ト、咒文のように繰り返している、腰の曲がった老人で。

随分長い間、寝たきりだったのでございましょう。
垢じみた襦袢の下は、骨と皮ばかりでございます。

耳を澄ますと、確かに両の肩辺りから、

「こち向け」
「こち向け」

ト、幼ない娘がお神酒に酔ったような、甲高い声が聞こえてくる。




「初めにお訊き申すが、この腫れ物の出来た謂れに、何か懺悔することがございましょうな」

僧は落ち着いた様子で、老父に白状を促しますト。

「お恥ずかしながら、尊い御坊の前ですから、答えないわけにはまいりますまい。自業自得とはこのことでございます。当時、この家で召し使っておりました下女がおりました。その女につい手をつけてしまいましてな。すると、この平六の母が、人一倍嫉妬深い女でございまして。かの下女をあなた、絞め殺してしまったのでございます」

僧は大方そんなところだろうと察していた様子で、

「なるほど、なるほど――」

ト、先を促しました。

「下女が死んで三日も経たぬうちに、右の肩に腫れ物が出来まして。その七日後に、平六の母もぽっくり死にました。それから、やはり三日も経たぬうちに、左の肩に同じような腫れ物が出来たのでございます」

そう語る親父の顔が、何かを思い出したかのように、青ざめている。

「して、かの『こち向け』は」
「左右揃うとすぐにでございます。一度でも返事をいたしませんと、首を絞められるような苦しみを感じまして、恐ろしさのあまり、呼ばれるがままに、右に左に顔を振り続けてきたのでございます」

その表情に十分な懺悔の色を見て取りまして。
僧は立ち上がって、老父の衣を脱がせますト。

両肩に、眼窩のように開いた穴から、

「こち向け」
「こち向け」

ト、ひっきりなしに、女の声が聞こえてくる。

僧はかの腫れ物に向かい、法華経を読み始めます。

すると、しばらくして、右の肩先から小さな蛇が、頭をちょこんと出しました。

僧がそれを見て、息もつかずに経を読み続けますト。
蛇は人差し指の長さほどに、するするトその身を出してきましたので。
僧はすかさず、経で蛇を掴んで穴から引きずり出しました。

同じ要領で、左の肩からも蛇を生きたまま引きずり出す。

こうして、生け捕りにした二匹の蛇を。
それぞれ一つずつの塚に埋めまして。
経を読み、懇ろに弔ってやりますト。
老父の腫れ物は快癒し、穴も塞がったと申しますが。

左右に首を振り続け、「むく、むく」と呟く、かの癖は。
いつまでも治ることがなかったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「諸国百物語」巻四の十四『下総の国、平六左衛門が親の腫物の事』ヨリ)

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