矢口長者の隠れ里

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こんな話がございます。

相州は丹沢山地のとある一隅に。
奇妙な名前の沢が集まっている場所がございます。
勝負沢、二十が沢、六百沢、転がし沢――。

これらの名がどのようにしてついたのか。
その由来をこれからお話しようと存じますが。

観応の擾乱――世に言う南北朝の動乱の頃の話でございます。

新田義貞の子に、名を義興ト申す武将がございました。
足利勢に対抗し、上野国にて同志と挙兵いたしました。

一時は首尾よく鎌倉を奪還いたしましたが。
その後は劣勢に立たされまして。
多摩川は矢口の渡しにおいて、主従ともども敵に殺されてしまいました。

さて、この義興の配下に、その名も矢口信吉ト申す武者がおりました。

主君の新田義興を、敵の騙し討ちで失って以来。
信吉はにわかに落ち武者となってしまいまして。
妻子供と、わずかばかりの家来を伴って。
相州は丹沢の山奥へト、逃げ込んでいきました。

丹沢は相州を甲州および駿州と隔てる、大山脈でございます。
一口に山ト申しましても、奥地へ入ると人の気配はまるでございません。
出くわすものといえば熊くらいという、大変な秘境でございます。

信吉は、そんな人里離れた山奥に。
妻子や郎党と、こっそり隠れ住んでおりました。

もっとも、子と言っても年頃の娘が一人いるきりでございます。
母に似て美しく、深い教養も備えた自慢の娘でございますから。
いつか然るべき家から婿を取る考えも、かつてはございましたが。
今はもう家の存続よりも、命の存続で頭がいっぱいでございます。

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妻子と郎党は、初めのうちこそ掘っ立て小屋に息を潜めておりましたが。
そのうちに、人が立ち入る心配がないと分かりますト。
家来はもちろん、女子供に、信吉自らも乗り出しまして。
周囲の木を伐り出し、少しずつ館らしきものを築いていきました。

言うまでもなく、そのことに気づいたものは誰もおりません。

こうして数年がかりで、丹沢の山奥、人跡未踏だった地に。
新田勢の落ち武者の、隠れ里が形作られていきました。

信吉は、「矢口の入道」の偽名を名乗りまして。
平常は郎党や妻子とともに、渓川で魚を捕る。
山では得意の弓矢で猟をいたします。

当初はこのようにして、一家で糊口をしのいでおりましたが。
そのうちに、信吉のみならず、妻子や郎党も徐々に気が大きくなる。

これだけの豊かな恵みを、我々だけで独占しておくのはいかにも惜しい。
食べて余った分は、金に替えるべきではなかろうか。
河内におわします帝から、いつ勅命が下らぬとも限らない。
その日のために、蓄えを傭けておくべきではなかろうか。

かような討議がまとまりますト。
それぞれが身分を隠して、麓の市へ出る。
手作りの館を中心とした隠れ里は、徐々に富んでいきました。

すると、良いことというものは重なるもので。
偶然にも、隠れ里を流れる渓川から、砂金が採れることが知れました。

こうなるト、世の中はもとより金、金、金でございますから。
鎌倉の足利勢相手に、これを売りつけようということになる。
素性を隠し、危険を犯してまでして、一気に富を増やしました。

――チョット、一息つきまして。

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