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死神

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こんな話がございます。

ある年の暮れのことでございます。
貧しい男がひとりございまして。
金の算段もつかぬまま家に帰ってまいりますト。
女房が眉を吊り上げて待っている。

「空手で帰ってきたのかい。全くだらしがないね。どうやって年を越すんだよ。もう一度無心に行っておいでよ。借りられるまで帰ってくるんじゃないよ。このうすらとんかちッ」

ト、けんもほろろに追い出されてしまった。

「畜生、なんて女だ。ああ、嫌だな。俺ァ生きてるのがつくづく嫌になっちまった。――死のうかしら」

寒空の下、大川端を当てもなく歩いているト。
思わずそんな愚痴も出る。

「しかし、死んだことがないからな。首吊りがいいかな。それとも身投げがいいかな。どうやって死のう」

ぶつぶつ独り言を言っているところへ――。

「教えてやろうか」

不意に声を掛けられ、男はゾッとして振り返る。
物陰から何者かがにゅっとこちらをみつめている。

毛は頭に白いのが数本生えているばかり。
鼠色の着物の前をはだけ、あばら骨が浮き上がっている。
腰を曲げ、竹の杖を突いた、ひどく景気の悪そうなじいさんで。

「だ、誰だ。お前は」
「死神だよ」
「死神だと。――道理で、急に死にたくなったと思ったら。お前のせいだなッ」
「まあ、お待ち。お前と俺とは深い因縁があるんだから。そう邪険にしないで、俺の話を少しは聞きなよ。金が儲かるようにしてやるから」

ト、死神のくせに欲を張って生きろとそそのかす。

「いいことを教えてやる。お前は死神の姿が見えるだろう。病人をじっと見るんだ。病人には死神がひとりは必ずつくことになっている。枕元に死神が座っていたら、これは寿命だから諦めな。足元に座っている時は、呪文を唱えれば死神は消える。死神が離れれば病人は嘘のようにケロッと治る。医者になりな。儲かるぞ」

男が訝しそうにしているのを尻目に、死神は呪文を唱えて聞かせます。
半信半疑ながら、男も後について唱えてみる。

「なに、なに。アジャラカモクレン トンデンヘイ テケレツノパア」

真似をして最後に手をふたつ叩く。
ト、豈図らんやでございます。




「オヤ、消えた。お、おい。じいさん、どこ行った。――なるほど。本当に死神だったのかも知れねえ」

男はさっそく家に飛んで帰りまして。
かまぼこ板に「医者」ト書いて看板を出した。

するト、ものの十分も経たないうちに人が訪ねてくる。

「日本橋の越前屋から使いにまいったものですがな」

なんでも主人が永の煩いだそうでございまして。
どこの医者からも助からないト、さじを投げられたのだト申します。

越前屋ト申せば評判の大店でございますから。
男は気が引けながらも、連れられるまま後についていく。
座敷に上がると、病人が寝込んでおりましたが。
なるほど、確かに足元に陰気そうな死神がひとりうなだれて座っている。

「本当に助からないと言われましたか」
「へ、へえ。どこへ行ってももう寿命だと言いますので」
「そんなことはない。助かりますよ」
「え、本当ですか」

呆気にとられている親族や奉公人を前にして。
男は咳払いを一つするト、例の呪文を唱え始めた。

「アジャラカモクレン トンデンヘイ テケレツノパア」

死神がすうっと姿を消す。
ト、それと入れ替わるようにして。
今まで静かだった病人が。
突然咳き込み始めました。

「お、おい。誰かお茶を持ってきてくれッ。――ああ、苦しかった。頭から雲がすうっと晴れたようだ」

家人たちは飛び上がっての大喜びで。
男は謝礼をたんまりもらって家路に就く。

それからも呼ばれて行くたびに、男はまず死神を見る。
枕元に座っていれば、もう諦めなさいと言い渡す。
足元に座っていれば、きっと治ると請け負います。

これが見事なまでに百発百中でございますから。
男の評判はうなぎのぼりに上がっていく。
やがて、長屋を出て女を囲い、女房子供を追い出した。
この世の春トハまさにこのことでございます。

――チョット、一息つきまして。

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