水を飲んだ女

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どこまでお話しましたか。
そうそう、王申親子の前に幼くして寡婦となった少女が現れるところまでで――。

王申の妻は、一目この娘を見たときから。
何か感じるものがあったようでございます。
わざわざ自室へ連れて行って、同じ床に寝かせまして。

「聞けばあなたは身寄りといえば、馬嵬に遠い親戚がいるばかりだそうじゃありませんか。今晩と言わず、これからもずっとここにお泊まりなさい。私を母と思えば良い」

娘はこれをとてもありがたく受け入れまして。
王申の妻をお母さん、お母さんト呼んで懐きます。

明くる日。

王申の妻はふと思うところがありまして。
娘を呼んで繕い物をさせてみる。
娘は暮方まで一切、息つくこともなく。
懸命に針を動かし続けておりましたが。

その出来栄えを見て、王申も妻も声を上げんばかりに驚いた。

その細やかな針さばき。
とても人間業とは思えない精巧さ。
まるで鬼神が降りてきたようでございます。

王申の妻はそれ以来、ますます娘を可愛がるようになりました。

明るく、けなげで、女らしく――。

それが、己がこの家に嫁してきた時に。
姑が求めた、嫁としてのあるべき姿でございます。

若き日の己は、その求めに応えるべく。
出来る限り明るく振る舞いました。
何事も耐え忍んでまいりました。
そして常に女らしくあろうと心がけてはおりましたが。

果たして、実のところ、どれだけ応えることができているだろうか。

王申の妻にとっては、常にそんな自責の念に。
さいなまれ続けた婚家での暮らしでございました。

それが今、この朗らかな娘を見るにつけ。
王申の妻は、何か自分自身が姑の呵責の眼差しから。
ようやく解放されるような思いがするのでございます。

「お前、どうせ身寄りがないのなら、うちの倅の嫁になってはくれまいか。ねえ、どうだろう」

王申の妻が思い切って尋ねてみますト。
娘は初めこそ、突然の申し出に戸惑っておりましたが。
やがて、にっこりト笑みを浮かべまして。
物怖じすることなく、ハキハキとこう答えるのでございました。

「それは身に余る光栄でございます。きっとお役に立ってみせましょう」

妻はこのことを夫に告げる。
王申はようやく妻のお眼鏡にかなう娘が現れましたので。
妻の気が変わらぬうちにト、あれやこれや嫁入り道具を新調する。

こうして幼い寡婦は、たちまち王家の嫁に仕立て上げられました。

内輪ばかりの婚礼を慌ただしく執り行いまして。
その日も暮れるト、幼い新郎新婦は床入りと相成ります。

そのころ、この地では賊が跋扈しておりましたので。
真夏の蒸し暑い夜ではございましたが。
王申の妻は、幼い夫婦の寝室の戸締まりを厳重にしてやりました。

するト、その晩。
王申の妻の夢枕に。
ざんばら髪の倅がすっと立ちました。

「母さん――。食べられちゃうよ。食べられちゃうよ――」

青ざめた表情で。
涙を流して訴える。

妻はゾッとして飛び起きまして。
かくかくしかじかト夫に告げましたが。

「馬鹿を言え。あんまり出来の良い嫁をもらったものだから、かえって気が昂ぶって眠れないんだろうよ」

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ト、笑って取り合ってもくれません。

妻も、なるほどさもありなんト、思い直しまして。
再び、床に潜って目をつぶる。

ト、どうしてもまた同じ夢を見る。
王申の妻は落ち着かない。

「まったく、困ったやつだ。手燭を出せ」

王申は眠い目を擦りながら。
燭台を掲げて、新郎新婦の部屋へ向かう。
妻が後から続きます。

長く、暗い廊下に。
コツコツと響く二人の足音。
しかし、部屋の中からは何も聞こえてまいりません。

「いやに静かだな」
「呼んでみてくださいよ」
「そんな野暮な真似ができるか」
「でも――」

妻が珍しく弱音を吐きますので。
王申も仕方なく、咳払いをひとつして。

「おーい、倅や」

ト、呼びかけますが、返事はない。

ただ返事がないだけなら、ともかくも。
何やらピチャピチャと、雨漏りでもするような音が響いてくる。

「妙だな」
「あなた、開けてみてくださいよ」
「どうなっても知らんぞ」

王申が取っ手にそっと手を掛ける。
ゆっくりと戸を押し開いていきますト。
窓から差し込む月明かりに照らされて。
怪しい影が二人の目に飛び込んできた。

「あッ」

ト、王申の妻が声を上げたきり。
卒倒してしまったのも無理はございません。

――そこには、怪物が呆然と立ち尽くしていた。

丸い目に、口からは牙を生やし。
体は全身青く染まっている。
口をもぞもぞ動かして。
ビチャビチャと嫌な音を立てている。

怪物はふたりを目にすると。
驚いて飛び上がるや逃げ去っていった。

王申は倒れた妻もそのままに。
部屋の中へ踏み入っていくト。
新婦の姿はすでにない。

新郎は、倅は――ト。
燭台で部屋を照らしてみる。

ト。

枕屏風のその陰に。
わずかに骨と黒髪ばかりが。
無残に散らかっていたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(唐代ノ伝奇小説「酉陽雑俎」続集巻二ヨリ)

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