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班女と梅若丸 隅田川

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こんな話がございます。

両国の地名にも表れております通り。
古来、隅田川は武蔵下総の国境いを成してまいりました。
この川を越えれば、その先はもう奥地でございますので。
都人から見れば、相当の辺境であったろうことは間違いない。

昔、在原業平ト申す都の風流人がございまして。
何の因果か、東国の地へはるばるやって来たことがございます。

泊まりを重ねてこの隅田川へ差し掛かった時に。
見たことのない鳥が飛んでいるので、ふと興味を覚えるト。
「あれは都鳥と申す鳥でございます」
ト、渡し守が答えたのを受けて。

――名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 我が思ふ人は 有りや無しやと
(都を名乗るのならあの鳥に尋ねてみよう。私の想い人は無事に暮らしているのかと)

左様な歌をつい詠んだのも、都人には東国行が。
それだけ侘しさを催すものであったからでございましょう。

さて、とある春の閑日でございます。
風がのどかに吹いている。

在五中将の東下りも、もはやいにしえの夢物語。
ただ、目の前の光景は、昔も今も変わりません。

ゆったり流れる隅田川に。
小舟を浮かべた渡し守がひとり。
のんびりト、客の集まるのを待っておりましたが。

「おい。舟は出るかい」
「へえ。お客衆が集まったら出ます」
「そうか。それなら、出るまで待とう」

ト、舟に乗り込んだのは若い男。
旅人装束に身を包んでいる。

「旦那様はどちらから」
「俺はこの先の下総の商人さ。都でひと儲けしてこれから国へ帰るところだ」

ナドと言葉を交わしておりますと。
後ろの方から人の群れが。
何やら囃し立てながら。
こちらへ歩いてまいります。

「あの騒ぎは一体、何でしょうな」
「あれか。何でも都から落ちぶれてきた、物狂いの女だそうだ」
「都からの物狂いとな」
「そうだ。寄ってたかってからかって、女をなぶっているんだよ」

船頭は何か思うところがあったのか。
しばらく舟を出すのをためらっている。
そこへ、群衆がどんどん近づいてきて。
中からポンと、女がひとり飛び出した。

「のう、舟人。舟に乗ろう、舟に乗ろう」

その身には鄙人の襤褸をまとい。
長い髪は千々に乱れており。
何に使おうと言うのか知らないが。
手には笹の枝を握っている。

まるで、子供がはしゃぐように。
その笹の枝で舟べりをぺんぺんト叩きながら。

「舟に乗ろう。のう、舟人。舟に乗ろう」

ト、急かします。

「都仕込みの狂人踊りでも見せてくれたら考えよう」




旅の商人が脇から女をからかった。

「つまらない人だわいの。隅田川の渡し守なら、あの鳥は都鳥と申すくらいのことは、言ってくれてもよさそうなものを。のう」

渡し守もその話を聞いたことがないではないが。
なにぶん鄙人の身とて、急には気が回りません。

「いや、あそこに飛ぶのは沖の鴎でございます」

ト答えたものだから、噴き出したのは狂女の方で。

「色気のない爺さんだ」

旅人が今度は渡し守をからかいましたが。

その時、渡し守は女のその狂態の中に。
隠しきれぬ雅やかさト優しさトを見て取った。

「さあ。舟を出しましょう。お乗りなさい」

春のうららかな陽射しを浴びて。
舟はゆっくりゆっくりト進みます。

狂女は相客に背を向けるようにして。
舳先(へさき)の辺りに座り込んでいる。
じっとして、ものも言いません。

旅人は、これは呑気なもので。
腰から提げた瓢箪から酒を注ぎ。
花見代わりに左右の景色を眺めつつ。
昼間から悠々と聞こし召している。

「なあ、爺さん。ほら、あの向こうの柳の木の下に大勢の人が集まって、何やら唱えているがあれは何だい」

目ざとく気づいた旅人が、訝しそうに渡し守に問う。

「ああ、あれですか」

ト、ひと声答えて、渡し守は女の背中を見た。
まるで石仏のように固まって、身じろぎ一ついたしません。

「かれこれ一年も前のことでしたかな」

重い口を開くように、渡し守が語りだす。

――チョット、一息つきまして。

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