::お知らせ:: 最新怪異譚 焼き場の妖異が我をたばかる を追加しました

 

母は蛭子を淵に捨てよ

この怪異譚をみんなに紹介する

こんな話がございます。

我が日の本には八百万(やおよろず)の神々がましますト申しますが。
みとのまぐわい(美斗能麻具波比)によって、この神々を産みたもうたのは。
伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の二柱の男女神でございまして。
その第一に生まれた御子は、名を蛭子(ひるこ)ト申します。

これは「ヒルのごとく悪しきもの」トいうような意味だそうでございますが。
コトを始めるのに、女の方から声を掛けたのがいけなかったとかで。
御子は三年経っても足腰が立たなかったト申します。
哀れ、不具の子は葦舟に乗せられ、水に流されてしまいました。

これが我が朝の水子の初めでございます。

さて、お話は都が奈良にあった頃のこと。
難波津にとんでもない女がございました。

何がとんでもないかト申しますト。
この女はとにかく人からよく物を借りる。

そればかりなら誰も不満は申しませんが。
よほど人間が横柄に出来ているのでございましょう。
己の物は己の物、人の物も己の物という了見で。
借りた物を返そうというつもりがハナからない。

「ちょいと貸しておくれよ」
「一度だけ使わせておくれよ」
「明日には返すよ」

薪を借りる、塩を借りる、笠を借りる、籠を借りる――。

家の中はまるで道具屋のように、人からの借り物で溢れかえっている。

かてて加えて、稀代の吝嗇家ト来ています。
己の物は決して使おうといたしません。

いくら薪が余っていようト、人から借りて火を焚き。
いくら塩が蓄えてあろうト、人から借りて味をつける。
屋根を葺いた萱も借り物なら、身につけた腰布までが借り物で。
己の物を使っては、先祖に罰が当たるとでも思っている。

まさにケチの女棟梁、ケチの総元締め。
ケチの国からケチを広めに来たような悪い女で。

そんな者に貸す方も悪いと言いたくもなりますが。
概してケチというものは、悪知恵ばかりは惜しまぬものでございます。
口八丁手八丁、手練手管で人の物を掠め取る。
老若男女、この女の毒牙にかかった者は数知れません。

この女は器量は人並み以上でございましたが。
どういうわけか、男嫌いでございまして。
心を許すのも元手が減るト考えたのかもしれません。
年はまだ若いながらも、一人で暮らしを立てておりました。




女はある時、新しい商売を始めようト思い立ちまして。
ともかくも船着場へとやってまいります。

ここは、かつて行基大徳が開いたもので。
諸国から水路を通って物が集まってくる。
これをなんとか活かせないかト考えた。

ト、そこに通りかかったのは、他国からやってきた運脚夫で。
その頃の百姓は、都へ庸布(ようふ)ト呼ばれる布を労役代わりに納めますが。
それを運んでくるのもまた、彼ら百姓自身です。
車を使ってはならない決まりで、肩に荷を担いで通っていく。

女は土埃にまみれた、垢抜けないその男に声をかけまして。

「ちょいと、お前さん。都は初めてだね」

男は訝しそうに女を見る。

「良い儲け話があるよ。ただで帰っちゃもったいない。故郷に錦を飾りなよ」

女は強引に男の袖を掴みまして。
物陰に引きずり込んで説き伏せる。

曰く、ここは諸国の物産が集まるところだから。
お前のその布を元手に商いをすれば、瞬く間に財を増やせる。
お前は不案内だから、私が代わってあげるよ。
その代わり、儲けたら少し利を分けてくれればいい、ト――。

鄙には稀な器量の女でございます。
それが目の前でしきりに秋波を送りながら。
儲け話を懇懇と言って聞かせます。
男は求められるまま、大事な庸布を女に預けた。

女はこれを元手に、諸国の物産を買い入れては売り、買い入れては売る。
そうこうして、たちまち、夢のような財を築き上げましたが。
ここからがこの女の真骨頂で。

純朴な鄙の男を煙に巻き。
庸布を返すことなく、姿を消してしまいました。
大事な献上品を失った男は、事ここに至ってようやく青ざめる。

――チョット、一息つきまして。

この怪異譚をみんなに紹介する

新着怪異譚のお知らせを受け取る

コメント

  1. mi より:

    極悪な女の後半は自業自得であるが10年間も不具の子を育ててたというのは切なさのような物を感じる。どのように生きてたかわからないが母性が人間性をまともにしたかのようで取り憑いた男は確実な悪ではない。因果応報のようでそうは終わらない、深さを感じるお話でした。

  2. 砂村隠亡丸 より:

    mi様。
    はじめまして。

    なるほど。
    確かに、男が悪霊となって取り憑いたからこそ、女が人間らしさ、母親らしさを獲得できたと言えますね。
    悪霊にとっても皮肉な結果だったかもしれません。