::お知らせ:: 最新怪異譚 焼き場の妖異が我をたばかる を追加しました

 

餓鬼憑き ヤビツ峠の落武者と霊

この怪異譚をシェア

こんな話がございます。

長きに渡った戦国の世の、覇者は誰かト問われますト。
それは一も二もなく、徳川様ではございますが。
我々関東者にとりまして、戦国の雄はト申しますト。
それは一も二もなく、相模の北条家でございます。

その北条を最後に滅ぼしたのは、かの太閤秀吉公でございますが。
最も苦しめたのは誰かトなりますト、やはり甲斐の武田でございましょうナ。

城下町まで曲輪(くるわ)でそっくり取り囲んだ総構えは。
北条の居館、小田原城の誇りでございまして。
豊臣の大坂城に先んじ、また遥かに凌いだト申しますが。

これも元はといえば、武田の激しい攻撃に耐えるため。
武田の小田原城攻めを契機に、普請が始まったト申します。

この時、小田原に侵攻した武田の軍でございますが。
三日間だけ城を包囲するト、甲斐へ向けて退却していきました。

これを時の当主氏康の子、氏照と氏邦が待ち伏せ、迎え撃ちまして。
ここに両家最大の激突、三増峠の合戦が始まったのでございます。

ところが蓋を開けますト、この戦いは武田の大勝に終わる。
山での戦いを熟知する武田に対し、相模の北条は赤子も同然で。
出兵した二万の大軍に対し、三千余りの死者を出しました。
なんとか生き延びた者たちは、落武者となって方々へ散っていった。

さてここに、六人の落人がございまして。
これは命からがら逃げてきた北条方の。
さる武将ト郎党でございます。

菰田軍平太ト申すがその主君で。
安治川仁兵衛ト申すがその執事。
他に若党が三人ト。
槍持ちが一人トいう陣容で。

主を含めてみな三十足らずトいう。
若い主従でございます。
殊に、槍持ちの太助はまだ十八で。
これが初陣トいう若い衆でございましたが。

初めての戦で敗走というのは、なんとも心細いものでございます。
それもただ負けたのではございません。

敵の退路に待ち伏せて、悠々ト立ち塞がったつもりが。
思いもよらぬ反攻に遭い、次から次へト敵が飛びかかってくる。
あれよあれよト押し返されて、まごついているうちに。
目の前に積み重なっていくのは、累々たる味方の屍で。

だらしなく目を剥いて伸びているのや。
喉を突かれて血みどろになったのや。
手足がまるで皮一枚で繋がったようなのや。
すぱりト首を切り落とされて、胴体だけが転がっているのやら。

一歩間違えれば己がああなっていたかト思いますト。
太助はゾッと血の気が引く思いがするのでございます。

もうどこかも分からぬ道なき道を。
主従六人で落ち延びていく、今この時も。
もしや、その藪の中から敵が襲い掛かってくるのではないか。
しきりに怯えて、気が休まることがございません。

主君の槍もいつ折れて失われたか覚えていない。
槍を持たぬ槍持ほど心もとないものもない。

「と、殿――」

露払いを務めていた若党の一人が。
震える声をにわかに上げて、立ち止まりました。

「ど、どうした」




ト、問う仁兵衛の声も震えている。
執事――つまり、家老ですナ。
しかしまだ二十七の若侍です。

それより二つ年若の主君、菰田軍平太は。
ギョッと目を剥いて立ちつくしたまま。
声を発しもいたしません。

「ふ、伏兵が――」
「――なんと」

枯れ草をかき分けた向こうには、野原が一面広がっておりますが。
その遠い果てに、一行は見てはならぬものを見てしまった。

ズラーッと右の端から左の端へ。
視界いっぱいに並んでおりますのは。
鈍く光る槍の穂先ト長い柄で。
天をも衝かんばかりに、真っ直ぐに上を向いている。

「もはや、これまで――」

主君の菰田軍平太は、ここでようやく一声発しました。
激戦にやつれた顔で呆然ト、遠い槍の群れを眺めまして。
蚊の鳴くように小さな声で、何とかそれだけ絞り出しますト。

執事の仁兵衛が力なく頷く。
こうなるト、下の者も従うより他ございません。
太助の胸がドッと高鳴った。

「ざっと見ます限り、総勢五百はおりましょう」

仁兵衛が言葉を選ぶように言う。
主君は最期に自らを鼓舞するように、

「敵の手に落ちて辱めを受けようよりは、せめて武士らしく果てようぞ」
「ハッ――」

ト、一同はみな覚悟を決めますが。
太助ひとりは恐ろしさのあまり声が出ない。

主君軍平太がスラリと刀を抜く。
若党が一人、背後に立って刀を構える。
介錯仕るトいうのでございます。

軍平太の握った刀が震えている。
主君はもろ肌を脱ぎ、腹に刀を突き立てまして。
しばらく躊躇しておりましたが。
やがて観念したように、ヤッと腹をかっさばいた。

すかさず、介錯の若党が刀を振り下ろす。
ゴロンと転がる主君の首。
それが太助の足元まで来て止まりました。

仁兵衛は主の御首(みしるし)を拾い上げ。
それを腐葉土の下に埋めますト。
今度は己が刀を抜き。
見事に腹を斬って果てました。

次に若党二人が互いに刺し違えまして。
手間取りながらも何とか逝きましたが。

ついに残るは若党ひとりト、太助ばかりでございます。

――チョット、一息つきまして。

この怪異譚をシェア

新着のお知らせを受け取る