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丸山遊郭 猫の食いさし

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どこまでお話しましたか。
そうそう、長崎は丸山遊郭の遊女左馬の介が、見初めた若衆から青い瞳で見つめられたところまでで――。

若衆は後ろから近づいてきた禿のお清から文を受け取りますト。
しばらくはつらつらと文面に目を落としておりましたが。
文をたたみ、顔をもたげるヤ、びいどろのように青い瞳で再び左馬の介を見た。
我知らず頬が赤らむのが、自分でもよく分かりました。

お清に先導されて若衆が座敷へ上がっていく。
左馬の介は別室で身なりを整え直しまして。
満を持して廊下をしずしずト歩いていく。

震える手でスッと襖を開ける。
端正な居住まいで若衆が待っている。
左馬の介が硬い笑みを浮かべて会釈をしますト。
若衆の柔和な顔立ちが途端にぱっとほころびました。

それからは若い者同士、すぐに打ち解け合いまして。
美男と美女が仲睦まじく語らい合う。
するト、店の主人が左馬の介の水揚げの祝儀にト。
様々な料理でもって、この若衆を饗応いたしましたが。

おかしなことには、その食事の仕方でございます。
精進料理やあつものの類には見向きもしない。
ただひたすらに魚や鳥ばかりを食っている。
しかも、食うのは刺し身ばかり。

ぺちゃぺちゃと嫌に舌を鳴らして食い。
そのうちに素手でつまみ始める有様で。

店の者たちは、美麗な容姿とのあまりの不釣り合いぶりに驚きますが。
左馬の介は田舎の出ですから、さほど気にも留めません。
若衆の威勢のいい食いっぷりを、楽しそうに眺めておりましたが。

そうこうする間に、やがて夜は更ける。
二人は晴れて床入りトなる。

左馬の介はすでに気を許しておりましたので。
あれほど不安に思っていたのがまるで嘘のよう。
若衆と一つ褥(しとね)に収まりまして。
いつしか甘い眠りに落ちてゆきましたが。

何やら妙な肌触りを感じて、ふと目が覚める。
首元がねちゃねちゃとして何だかこそばゆい。
何だろうト、目をそちらへ転じてみて、ハッと驚いた。

暗闇の中、青い目が二つ光っている

カッと目を見開いて、こちらをじっと見ているのは。
愛しい若衆に違いありません。

左馬の介は若衆の変貌ぶりに。
もうびっくりしてしまいまして。

うんともすんとも言うことが出来ず。
また、身動き一つ取れないまま。
再び目を閉じてしまいました。

するトまた、ねちゃりねちゃり。
若衆が左馬の介の白い首筋を。
舌で舐め回しているのでございます。

ねちゃり、ねちゃり。
ねちゃり、ねちゃり。

左馬の介は何だか気味が悪い気もしはしましたが。
男女の同衾とはこういうものかもしれないト。
じっと耐えに耐えておりました。

ねちゃり、ねちゃり。
ねちゃり、ねちゃり。
ねちゃり、ねちゃり。

「ぎゃっ」

ト、思わず叫び声が出た。

首筋に牙でも食い込んだような激痛が走る。
その声に若衆の方でも驚いたのか。
左馬の介の首筋から顔を離し。
向こうを向いて寝てしまった。

翌朝。

後朝(きぬぎぬ)の別れト相成りまして。
若衆は惜しみながら帰っていく。
左馬の介もいつまでも手を振り見送っておりましたが。

「おい、左馬の介。お前、その傷はどうした。あのお客に噛まれでもしたか」

左馬の介はさっと傷を手で隠し。
違う違うト首を必死で振りましたが。

大事な品物に傷をつけられたと知って、主人は怒り心頭でございます。

「しかし、良家のご子息だったりしたら面倒だ。おい、作造。六尺棒を持って来い。跡をつけて、大したことのない家の餓鬼だったら、これで懲らしめてやる」

ト、飯炊きの下男を連れて追いかけていった。

左馬の介は気が気でございません。
どうか若衆が良家のご子息でありますように、ト。
まだ痛む首の生傷を押さえて祈っておりましたが。




それから一とき(二時間)ほどして、主人が帰ってくる。

「左馬の介、あれは大変な御仁だったぞ」

左馬の介は身を乗り出して、主人の話に耳を傾ける。

主人と作造が跡をつけていきますト。
若衆はとある裏通りの小汚い長屋へ入っていった。

武家の若衆がどうしてこんなところに、ト。
不審に思い、その家へ踏み込みますト。
中にいたのは禿親父が一人。

「何です。だしぬけに」
「ここにさっき、お武家の若衆が入ってきませんでしたか」
「むむっ。そのことですか。ただし、あれはただの若衆ではありませんぞ」

ト、禿親父が眉をしかめました。

「思い当たる節があるのですな。一体、どんな若衆なのです」
「いや、その若衆というのは――」
「――若衆というのは」
「年来この家に住み着いていた南蛮の猫です」
「南蛮の、猫――」

あまりのことに、主人は二の句が継げない。

どうやら、紅毛人が持ち込んだ南蛮の猫が、飼い主のもとを逃げ出したらしく。
もう十幾年もその家の縁の下に住み着いているのだト、禿親父が申したそうで。

「時々、お侍に化けては、あちらこちらで悪さをすると、近所の人が噂するのですがな。やっぱり、化けましたか」
「化けましたかじゃあない。あなたもあんまり呑気な人だ」

そこで主人が禿親父の許しを得て、板敷きを外してみますト。
縁の下の暗がりに、全身の毛が白い異国の猫が。
青い目を光らせてこちらを見ていたトいう。

「それで、猫はどうなりました――」

左馬の介が心配そうに尋ねますト。
主人はしたり顔で胸を張りまして。

「この六尺棒で滅多打ちにしてくれたわ。しかし、惜しいことに逃げられてしまったわい。今頃、どこかで野垂れ死んでおるじゃろう」

ト、さも愉快そうに笑いました。

それから、左馬の介は「猫の分け」ト人々にあだ名されまして。
大いに笑い者にされたトいうことでございますが。

これは銀五分女郎の「分け」に「分食(わけ)」
――つまり、食いさしという意味を掛けたもので。
猫が食いかけで捨てていった女郎だトいう。
甚だ不面目なあだ名を付けられたものでございます。

当の左馬の介はまるで意に介していない。
来る日も来る日も、格子窓から外の通りを眺めている。

心ここにあらずといった体で。
道行く人々をただぼんやりと。
飽かず眺めて暮らしておりましたが。

雨のそぼ降るある夕べのことでございます。

「あっ」

ト、左馬の介が声を上げた。
通りの向こうから懐手をして。
ふらふらト歩いてくるあの姿は。
紛うことなく、件の若衆。

あちらの格子、こちらの格子ト。
きょろきょろト目をやりながら。

左馬の介はじっと見つめて待ち受ける。
やがて、若衆の青い瞳が左馬の介の瞳を捉えました。

その目は大きく腫れ上がっている。
痣のまだ引かぬ顔で悲しそうに左馬の介を見ますト。
足を引きずるようにして、フラフラとまた去っていった。

その後、左馬の介は、格子窓の外を眺めることもやめてしまいまして。
毎日、鏡に首筋の傷を映し出しては、猫の若衆を思い出していたという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「新御伽婢子」巻一の八『遊女猫分食』ヨリ)

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