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雨夜の悪党 引窓与兵衛

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こんな話がございます。

武蔵国は中瀬の渡しから伊勢崎へかかる辺り。
横堀村ト申す在がございまして。
ここの名主に与左衛門ト申す年寄りがございました。

金もあり田地も豊かにあるトいう。
いわゆる分限者トいう奴でございますので。

江戸見物などに出掛けるたびに。
芸者を呼んで遊んでおりましたところ。
お早(はや)ト申す芸者ト馴染みになりまして。
江戸芳町に家を持たせ、妾に囲っておりましたが。

老妻は田舎の人らしくお人好しでございます。
ひとりで江戸に寂しく暮らさせることはない。
こちらへ呼び寄せたら良いではございませんかト。
そう申しますので村へ呼び、別宅に囲っておりました。

ところが、世の中そううまい話はございませんナ。

本妻も妾も初めのうちこそ、親しく交わっておりましたが。
名主へのヤッカミからか、それぞれに余計なことを吹き込む者が現れる。

女二人は元より水と油の取り合わせでございますから。
やがて険悪な仲となってしまいました。

与左衛門もこれには困り果てまして。
今さらお早を江戸へ帰すわけにも参りませんから。
誰かお早を女房にもらってくれまいかト。
日夜、思案に思案を重ねておりましたところ。

フト、思い当たったのが与兵衛ト申す遊び人。

引き窓の与兵衛トあだ名するこの男。
元はト言えば、江戸深川の廻り髪結いで。
同じ江戸者同士、気が合うに違いないト。
与左衛門がこの与兵衛に話を持っていきますト。

美人の女房をただでもらえるのみならず。
金品に家まで付けてくれるト申しますから。
そういうことなら願ったり叶ったりト。
ここに無事、相談がまとまりました。

ところが、この与兵衛ト言うのが只者ではございません。

廻り髪結いト申せば聞こえは良いが。
呼ばれなければ廻りもしない。
時には呼ばれても行かない始末。
髪結いなんぞは博打の合間の余興程度に考えている。

江戸を離れ、かような在に住まっておりますのも。
そもそもが江戸に住まっておられなくなったからで。

引き窓の与兵衛ト呼ばれておりますのも。
金に困るト、引き窓――つまり、台所の上の天窓ですナ。
そこから忍び入って、盗みを働くトいう悪癖からで。

初めからお早を良い金づるくらいに思っている。
さっそく、好きな博打に金を使い込む。
博打で蔵を建てた人など聞いたことが無い。
大抵は取られるものト決まっておりますので。

半年も経たぬうちに新所帯は没落する。
荷車で運び入れた着物の山ナド見る影もない。
亭主は継ぎを当てた半纏を着て。
女房は簪ならぬ木の枝を髪に挿している。

そんなある日の暮れ方のことでございます。
折から降り出した雨が、次第に大降りになりました。

「おーい。お早、いるか」
「はい」

ト、戸を開けますト、立っていたのは名主の与左衛門。

「おや、旦那」
「ちょうど通りかかったところへ降ってきた。ひどい雨だな。傘を貸してくれな」
「まあ。せっかくですから、おあがりになって」




お早がそう言って引き留めますから、与左衛門は家に上がりました。

「しかし、この家も酷い有様になっちまったな。箪笥はどこへやったよ」
「こないだ持って行かれてしまいましたよ」
「それじゃあ、着物はどこにしまっている」
「そんなもの、あの人がとうに売ってしまったじゃありませんか」

ト、二人が話しておりますところへ。
間も悪く戻ってきたのは亭主の与兵衛。
見るト、玄関口には男物の草履。
中を覗くト、昔の旦那と妾が膝を突き合わせている。

与兵衛は裏口へ回ってしばらく立ち聞きしておりましたが。
ただでさえうだつの上がらぬ暮らしできまりが悪いその上に。
元の仲を知っているだけに、心中穏やかではございません。
ガラリと、出し抜けに戸を開けて中へ入った。

「ああ、与兵衛か。今帰ったくらい言って入ってきたらどうだ」
「あっしがあっしの家に帰ったんだ。何を気兼ねすることがありますかい。それとも、何かい。家も女房もまだあんたのものだって言うんですかい」

お早も与左衛門も、その一言に呆れている。
それを見て、与兵衛はなお一層のこと癪に障る。
囲炉裏にくべた粗朶をとっさに手に取るや振り上げた。

はずみで自在に掛けた薬缶が外れる。
ひっくり返って湯が溢れる。
灰神楽が上がる。
女房が悲鳴を上げる。

勢いで行灯まで倒れて、辺りは真の闇となった。

「与兵衛。おめえ、江戸っ子らしくもねえぞ。馬鹿な焼き餅なぞ焼くもんでねえ」
「誰が馬鹿だと。この色狸め」

ポカポカポカと、やたらめったら殴りつける音。

「こら、与兵衛。やめないか」

ト、初めこそ与左衛門も抗ってはおりましたが。

次第にその声が聞こえなくなった。

「おい、お早」

息を弾ませて与兵衛が呼ぶ。

「な、なんですよ」

お早の声は震えている。

「火を着けてくんな」
「着きませんよ。お湯をかぶっちまったんですから」
「いいから早く着けろッ」

脅されてお早が震える手つきで火打ち石を打つ。

カチッ、カチッ、カチッ――。
カチッ、カチッ、カチッ――。

しばらく経って、闇に炎が現れた時。
ぼんやりト浮かび上がってまいりましたのは。
両のまなこをひん剥いた、与左衛門の死骸でございました。

――チョット、一息つきまして。

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