::お知らせ:: 画師略伝 葛飾北斎 ―画狂老人は一処に安住せず― を追加しました
 

幽女を見る目

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こんな話がございます。
唐土(もろこし)の話でございます。

越の紹興に沈某という若者がございまして。
この者の住処は東岳廟の参詣の途次にございました。

東岳廟トハ何ぞやト申しますト。
これは泰山府君を祀るもので。
では泰山府君トハ何ぞやト申しますト。
これは寿命を司る神でございます。

それ故、泰山府君は非常に篤い信仰を集めている。
参道は人出も多く賑やかでございます。
沈は参詣客たちに自宅で酒食を振る舞っておりました。
我が朝で申さば、さしづめ伊勢の御師みたいなものでしょうナ。

さて、三月二十八日は泰山府君の誕辰。
つまり生誕日でございます。

参道はひときわ賑やかとなりまして。
沈家の門内も押すな押すなの大盛況。
沈も客たちの世話に馳せまわっておりましたが。

その喧騒という泥中に。
咲く蓮の花のごとき女の姿。

高貴な身なりの若い女人が。
外から門内を覗く姿がちらりト見えた。

その身は人形のように小柄ながら。
高く結い上げたみどりの黒髪。
雪のように白い肌。
柳のように細い腰つき。

髪には桃の花が挿してありました。

美女は人の多いのを嫌ってか。
一瞥するなり立ち去ってしまった。

思わず後を追おうとしたちょうどそのとき。
入れ替わりにやってきたのは三人の旅人。

そのうちのひとりは襤褸をまとった小汚い老人で。
門の外へ出ていこうとする沈を引き留め、申しますには。

「そなた、目がお悪いか」
「いえ、別に。なんともありませんが」
「それでは早晩患うに違いない。相が出ている」

そう申しますト、ひょうたんから薬を一粒取り出しまして。

「困ったときにはこれを使いなさい」

ト、沈に渡しました。

困惑する沈を尻目に、出された茶をすすりますト。




「薬はいずれ効き目が切れる。中秋の日の昼間にまた来るから、きっとここで待っておれ。さもないと、その後二度と会うことはまかりならん」

ト、申して去っていきました。

沈はとりあえず、薬を仏壇の引き出しの奥にしまっておきましたが。

そんな出来事のあったのを。
忘れかけていた夏六月。

沈の両眼がにわかに痛みだした。
真っ赤に血走り、腫れ上がり。
どんな眼薬も効きはせず。
寝食もままなりません。

沈は老人の薬を思い出しまして。
白湯に混ぜて、これを眼にさしますト。
冬の吹雪のごとき冷気が眼中を通り抜ける。
たちまち腫れは退き、痛みもすっかり治まりました。

さて、この街を郊外へ去ること十五里のところに。
跨湖ト呼ばれる石橋がございましたが。
ここはかつて戦乱があった際に。
多数の死者を出した悲劇の場所でございます。

あるとき、沈は用足しに。
驢馬に乗って出かけていきまして。
この石橋へさしかかりますト。

橋の下からえのき茸のように。
にょきにょきト伸びてくる無数の手。

橋の上には落ち武者が。
髪を振り乱し、血を流している。

首のない死体が、斬られた首を探して。
あてもなくさまよう姿もございます。

修羅の巷かと見紛う光景に。
沈は驢馬からほとんど落ちかけながら。
慌てて家へ逃げ帰りましたが。

見慣れたはずの野も川も。
見渡す限りに亡鬼の群れ。

さては、老人がくれた眼薬は。
幽鬼を見る目を得る薬だったかト。
うかつにさしたことを心底悔やみましたが。

気づいたときには後の祭りで。
毎日を怯えて暮らしておりました。

――チョット、一息つきまして。

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