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長いものは窓より入る

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こんな話がございます。

三代家光公の御世のこと。

豊前国小倉藩は細川殿の領国でございましたが。
その隷下に高橋甚太夫ト申す弓足軽の大将がおりました。

この者は曲がりなりにも大将トハいいながら。
武士の風上にも置けぬ小人物で。
いま、足軽トハいえ大将の職責にありますのも。
実は同僚の手柄を盗んで奏上したためであるという。

ところが、この者がそれでもなんとかやっておりますのは。
一にも二にも、この者には惜しいほどのよくできた妻があったためで。

妻は名を千鶴ト申しまして。
近在の百姓の娘でございましたが。

容姿は地味ながら美しく。
人となりはしとやかで慎み深く。
まさにその名が示す通り。
掃き溜めに鶴といった趣で。

さて、この頃は諸国大名の国替えが頻繁に行われておりましたが。
細川殿もかの肥後国熊本藩へ転封と相成りました。

夫婦は初めて生まれ故郷を離れましたが。
亭主は異国暮らしに浮かれたものか。
城下の風呂屋に入り浸りまして。
小枡ト申す湯女に骨抜きにされてしまいました。

そうなるト、邪魔になるのは女房の千鶴。
薄々感づいていようものを、一言も不平を申しません。

己の身に後ろ暗さがあるだけに。
その貞淑さがかえって重荷になる。

ある日、おそるおそる千鶴を呼び出しまして。
唐突ながら離縁を申し付けますト。
千鶴はさっと表情を変えつつも。
三つ指突いて、「ハイ」と承服いたしました。

「ひとつお願いがございます」
「な、なんじゃ。申してみよ」
「せめて小倉へ送り返してくださいませ」
「なんじゃ、そんなことか」

さすがの甚太夫も殊勝な願いに感じ入りましたが。
それがかえって不安に思われますのは。
イヤ、待てよ。何か裏があるのではないかトいうことで。

目の前ではおとなしくしたがっておきながら。
国元で親戚連中に己の非道を訴えるつもりではあるまいか。

端正な居住まいで正座をし。
伏し目がちに話をじっと聞いている。
その健気に見える姿も腹の中は。
黒く染まっているのではないかと気が気でない。




「よし、分かった。わしが直々に送ってやる」

そうして夫婦は旅の支度を整えまして。
肥後熊本を後にいたしましたが。

豊前へ向かうその道中に。
オロチ峠ト申す難所がある。

これは身の丈三間(5.5m)ばかりもあるという。
大蛇が棲み着くト恐れられた峠でございまして。
人でも馬でも平気でまるごと呑み込んでしまう。
千鶴が同道を願ったのも無理はない恐ろしさでございます。

時は正月三十日。
西国といえども山中は。
凍てつくような寒さと風。

甚太夫と千鶴の二人連れは。
ハアハアと白い息を吐きながら。
山道を登ってまいりましたが。

「ややッ。千鶴」
「どうなさいました」
「下がれ。オロチじゃ」
「なんと――」

千鶴は思わず甚太夫の腕にすがりつく。
どこに大蛇がいるのやらまだ見えません。
非情の亭主はその細腕をさり気なく振りほどきながら。

「お前はその大きな樹の幹にしがみついておれ。恐ろしい大蛇じゃ。藪の中におる。見入られぬように、向こうを向いておれよ」
「ハイ」

千鶴が急いで幹にしがみつき。
向こうを向いたのを確かめますト。

取り出しましたのは長い細縄。
グルッグルッグルッと二重三重(ふたえみえ)。
たちまち千鶴の華奢な体を。
大木に括りつけますト。

「あ、あなたッ。何をなさいますッ」
「やかましいわいッ。生かしておけばあだになる。オロチに呑まれるなり、凍え死ぬなり、どうにでもなれ」

ト、無情の宣告を言い渡しまして。
逃げるようにもと来た道を駆け下りていった。

――チョット、一息つきまして。

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