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杏生と二人のお貞

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こんな話がございます。

越後国は新潟湊に、若い医者がおりまして。
名を長尾杏生(ながおきょうせい)ト申しましたが。

これが目鼻立ちの整った好男子でございます。
年は二十歳を過ぎたばかりながら。
洒落っ気もあれば、品性も良い。
女たちの注目を一身に集めておりました。

ある時、トある妓楼に呼ばれて参りますト。
芸者がひとり床に臥せっている。
名をお貞(てい)ト申しまして。
長らく気鬱を患っているトいう。

「お医者さん」
「どうしました」

布団からだらりと飛び出した白い手を。
軽く掴んで脈をとっておりますト。
虚ろな眼差しをそむけたまま。
恥じらうように女がそっと言いました。

「私、もう長くないんでしょう」
「馬鹿を言いなさい。気鬱くらいで死ぬ人はいませんよ」

女は年の頃、二十二、三。
結い髪はとうに崩れており。
後れ毛が鬢から力なく垂れている。
病身の隠微な美しさ。

「それでも、他のお医者さんはみな匙を投げてしまって」
「治る気のない人を治すことはできませんからね」

やつれた妓女のもとへ連日通っては励ましてやる。
女は次第に若い医者の親身な姿にほだされていった。

三月も経つト、お貞はすっかり本復する。
薬の効き目もございましょうが。
無論、そればかりではございません。

「先生は命の恩人。何があっても絶対に離さない」
「心配しなくても、どこへも行きませんよ」

ふたりはいつしか佳い仲となる。
その睦まじさはたちまち花街の噂となり。
やがて杏生の父の耳にも入りました。

杏生の家は先祖代々医術を生業トしてまいりましたので。
父は患者ト恋仲になった倅の放蕩に怒り心頭でございます。
国を出て修行をやり直せト、江戸の某医師のもとへ送り出した。
お貞に暇を告げることも許しません。




お貞は人づてにこの話を聞きましたが。
事情を知らない上に、なんとも急でございます。
てっきり杏生に捨てられたものと、悲嘆に暮れた。

泣けども泣けども、涙はいつまでも尽きません。

するト、その涙が障りましたものか。
やがて左の眼を患いまして。

もとが陰にこもりやすいタチでございますから。
己を捨てた杏生に深く恨みを抱いたまま。
程なくお貞は死んでしまった――。

そんなことトハつゆ知らず。
杏生はお貞にすまなく思いながら。
次第にその面影も薄れてゆき。
勉学に精魂込めるようになる。

そうして五年が経ったとき。
杏生は妻を娶りまして。
江戸下谷に医師の看板を掲げました。

それから月日は夢のように流れまして。
白面の美男子もあれよあれよト四十を過ぎた。

髪に白いものが混じるのは致し方ない。
しかし、気にかかることがひとつある。
それは近頃、左の耳が聞こえづらいことで。

これでは医者の不養生トばかりに。
様々な治療を試すが好転しない。
それどころか、ついに左の耳だけが。
まったく聞こえなくなってしまいました。

隣町に評判の占い者がある。
藁をもすがる思いで訪ねまして。
これを占ってもらいましたところ。

「鬱々と陰に籠もり、憂いの中で死んだ女の霊が、貴殿の左耳に取り憑いておる」

占い者は心当たりを杏生に問う。
はたと杏生は二十年ぶりに。
かつての恋しい人を思い出した。

――チョット、一息つきまして。

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