こんな話がございます。
ある春の初めのこと。
出羽国は羽黒山の山伏が、大和の葛城山へ向けて、尾根伝いに修行の旅に出ました。
大和国に入ると、春日という里がございます。
そこに大きな池があるというので、憩いがてら立ち寄ってみることにいたしました。
教えられたとおりに歩いていきますと、やがて広い野原に出ました。
その真ん中にぽっかり穴が空いたように、確かに池がございます。
水面は穏やかで波打つこともまるでなく、水は清く澄みきっております。
まるでよく磨き上げられた鏡のよう。
山伏は池の畔に腰掛けまして、旅の疲れを癒やしておりましたが。
池の水のあまりに清らかなのに心を奪われ、そっと覗いてみますト。
陽の光を受けて、水のおもてはまさに鏡のように輝いている。
身も心も我知らず、いつしか吸い込まれていきそうな心持ちになりました。
ト――。
「もし」
不意に声を掛けられて、山伏はハッと我に返りました。
「ここで何をしておられます」
気が付くと何者かに腰を後ろから引っ張られている。
振り返ると、そこに老人が一人立っています。
どうやら山伏が水に落ちそうなのを見て、掴まえてくれていたようでございます。
「羽黒山から参った旅の山伏にございます。大きな池があると聞いて休みがてら参りましたが、なんともはや、心が洗われるような清らかさでございます」
ト、山伏が感心して褒め称えますト。
老人がたちまち誇らしげな表情を浮かべて応じました。
「この池は名を『野守の鏡』と申すのでございます。我々のような野守が顔を映すということから、そのように呼ばれているのでございます」
当時は、帝(みかど)の御料地が今より多くございまして、鷹狩が行われることもしばしばございました。
そのため、普段は禁猟の地とされておりますが、野守と申しますのはその番人でございます。
ただ今では目黒に公方様のお鷹場がございますが、この山伏はそうした野原に立ち入ったようなものでございましょう。
「『はし鷹の 野守の鏡 得てしかな 思い思はず よそながら見ん』。――確か、そのような古歌がございました」
古歌に詠まれたのはこの池のことだろうかト、山伏は感慨を催して尋ねました。
はし鷹と申しますのは、鷹狩に用いる鳥でございます。
鷹狩の野守の鏡が欲しい。あの人の心の内を密かに覗いてみたいので――。
マ、歌意はそんなところでございましょうが。
この池と鷹狩が何の因縁で結ばれているのか、山伏はまだ知りません。
山伏が古歌を持ち出しますと、老人の表情がなお一層ほころびました。
「よくご存知でございます。あの歌に『野守の鏡』と詠まれておりますのは、実に我々野守を讃えたものと申しましても過言ではございますまい」
相好を崩して老人が語ったところによりますト――。
はるか昔、雄略帝の御代のことと申しますから、今から千数百年以上も前の話です。
帝がこの春日の里で鷹狩に興じられた際、ふと鷹を見失ってしまったことがあったそうで。
その時、野守をしていた男が機転を利かせまして、空を見ずに池を見た。
鏡のように清く張り詰めた水面に、鷹が空を飛んでいくさまが手に取るように見えました。
木の枝に留まるのを待って、帝に奏上いたしまして。
以来、池に「野守の鏡」の名がついたと申します。
「私も若いころは、お上の鷹狩にご同行いたしたことがございましてな」
ト、老人は昔を懐かしむ。
「なるほど、道理で先ほど、水の中へ吸い込まれるような心持ちがいたしました。それもおそらく帝のご神威、野守の鏡の霊威によるものでございましょうか」
山伏は改めて池を讃えるつもりで、そう申しました。
それは老人が故事中の野守を、まるで自分の先祖のように話したからで。
一族が代を継いで大事に守ってきた池だからこそ、気高い霊威に自分は魅入られたのだろう。
ト、そんな意味のことを申したかったのでございます。
すると、どうしたことか、老人が不意に思い出したように肩を落とし、嘆息する。
「あなた、そう気安く口にしてはいけません。あれは鬼神の手中にある」
「鬼神とは――」
ト、山伏は困惑する。
「昼は野守の姿で池を見守り、夜は塚の中で闇を照らすのです」
「――拙僧にはわかりかねます。一体、何の話でございますかな」
山伏はますます困惑して、尋ねます。
日は山の端に沈んでいく。
ふと見ると、老人の姿が消えている。
――チョット、一息つきまして。
コメント
禁猟地での狩りで罪を問われ、悲しき最期を遂げた者の話をよく聞きますが……。
禁猟地とは何がしかの結界もしくは聖域など、狩場以外の特別な意味づけがあったのでしょうか?
そうでも見ないことには、たかが小鳥ごときで気の遠くなるような地獄の責め苦を受ける野守があまりにも不憫。むしろ理不尽な気がいたしますな。
日本で禁猟地、禁漁地と申しますと、天皇御料地、寺社の境内、もしくはそれらに食物を献上するための地――いずれにしても、仰るとおり聖地となりましょうか。
また、天武天皇による「殺生禁断令」以来、日本では殺生ひいては肉食をことさら忌避する観念が強かったと申せます。
そのため、漁師や猟師は「殺生を犯す罪深き身」としてしばしば描かれます。
このお話では、野守の老人は聖地を汚したのみならず、殺生肉食の禁を犯したということになりましょう。
が、確かに肉食が当たり前の現代では分かりづらいですね。
――と、ここまで申して何ではございますが、実はもとの世阿弥の謡曲に「小鳥を射殺して食った」というくだりはございません。
この部分は同じく謡曲の「阿漕(あこぎ)」(伊勢神宮に魚貝を献上する禁漁の沖で、禁を犯した漁師が海に沈められる。語り手の老人が実はその亡霊)の粗筋から借用いたしました。
元の「野守」の後半部分は、「鬼神の姿で再び現れた老人が、手にした鏡で天と地獄を映し出し、力強い舞を披露した後、地獄へ戻っていく」という粗筋で、老人の正体が鬼神である背景は特に描かれておりません。
一般的には「土地の荒ぶる精霊」のように解釈されることが多いようです。
(※本文中に一部誤記がありましたので、訂正いたしました)
種明かしありがとうございます。
阿漕は伊勢の津出身の妻の故郷の町内です。
その地に平治煎餅という素朴な菓子があるのですが、それの菓子の由来が今回のお話を思い出させます。
http://www.heijisenbei.com/heiji/index.html
オヤ、ご町内でございましたか。
津のご出身と伺っておりましたので、もしやご近所ではト思っておりましたが。
よろしくお伝え下さい。