どこまでお話しましたか。
そうそう、照手姫の住む横山館に忍び込んだ小栗判官が、横山殿と五人の息子から命を狙われるところまでで――。
小栗は鬼鹿毛にまたがって、屋敷の敷地を一周りすると、悠々と照手姫の部屋に戻って行きました。
すると翌日、また使者がありまして。
今度は「蓬莱の山をともに見物したいが如何か」ト言う。
小栗はふたつ返事で応じますが、照手姫はどうにも胸騒ぎがする。
「親が子を謀り、子が親に盾を突く当今でございます。昨日の鬼鹿毛の一件もございます。明日の蓬莱山のご見物はどうかおやめくださいませ」
ト、袖を引いて必死に留めます。
「しかし、来いというものを拒むわけにもいかぬだろう」
小栗は照手姫の心配もよそに、衣冠を整えて部屋を出る。
この蓬莱山というのは、近所の裏山ではございません。
不老長寿の神仙が住むという蓬莱山の張りぼてに、松竹梅や鶴亀など縁起物を飾ったものでございます。
つまり、酒宴を催すからおいでなさい、トいうお誘いではございましたが。
横山殿が、一献さし上げましょうト申し出る。
小栗もそこは一応、警戒をいたしまして。
「今日は酒断ち精進の日」ト偽り、酒に口をつけようとしない。
横山殿は業を煮やして立ち上がる。
何をするかと思えば、法螺貝を持ちだして、碁盤の上にドンと置いた。
「この碁盤は武蔵相模の二国でござる。どちらでも好きな方を、この法螺貝に入れてお持ちなされよ。それを肴に一杯お召し上がりなされ」
ト、詰め寄った。
元より小栗は、所領を授かりたいなどという考えはございませんが。
坂東に名を轟かす横山殿が、ここまで言うのをむげに断るわけにもいかない。
そこでようやく盃を受け取りまして、まず己が一杯、そして家来の者たちにも次々と盃を回していきました。
ところで、この銚子は二口銚子と申しまして、中に細工が施してある。
蓋をあけると、中が二つに分かれておりまして、別々の酒を入れることが出来る。
一方には横山親子に、もう一方には小栗主従に注ぐ酒が入っています。
小栗と主従はぐいっと一気に酒を飲み干しましたが。
やがて、この酒が身にしみじみと沁みこんでまいります。
総身の毛穴、骨、節々に奇妙な酒気が沁みこんでいく。
「オヤ」
ト思った時には、すでに目の前の天井、大床が、グルグルと回っておりまして。
「殿、情けなくもご奉公、これまでとあいなりました」
ト、家来たちが前にのめり、後ろに転び、バッタバッタと倒れていきます。
それでも小栗はさすが大将、刀の柄に手をかけるや、
「卑怯なり、横山殿。弓を取る家の棟梁が、毒を持って人を殺すとは。いざ、尋常に勝負せん」
ト、気丈にも刀を抜こうとは致しますが――。
全身に回った毒気が小栗から力を奪います。
抜こう、斬ろうト、心がはやるほど、五体は言うことを聞きません。
まるで蜘蛛が糸を吐きながら這うようで。
やがて、息は冥土へ引きこまれ、朝露のごとく消え入ります。
小栗判官は、御年二十一を一期とし、黄泉の客となリました。
さて、これでようやく溜飲を下げた横山親子でございます。
十人の家来を火葬にし、小栗一人を土葬にいたしましたが。
それもこれも、毘沙門天の申し子たる大将に、相応の敬意を示したものではございましょう。
ところが、これで終わらないのがこの親子の恐ろしいところで。
一段落ついたところで、三たび顔を突き合わせて謀議しましたことには。
「なあ、息子たちよ。ひとの子を殺して自らの子を生かしておくのは、さすがに都の聞こえが悪かろう」
ト、坂東の田舎武者でございますから、京の朝廷や足利将軍から睨まれ、土地を取り上げられることを恐れている。
「今日まで玉のように大事に育ててきた我が娘だが、事がこうなった以上致し方がない。鬼王、鬼次よ。姫をおりからが淵に沈めてまいれ」
実の娘を家来二人に殺せと命じる。
鬼鹿毛、鬼王、鬼次などと呼んでおりますが、己が第一の鬼でございます。
鬼王と鬼次の兄弟は、主人に逆らうことも出来ず、照手姫の部屋に押し込んだ。
姫を無理無体に縛り上げますト、牢輿に乗せて一路、相模川へ。
その河口に渦巻く、おりからが淵。
姫に岩をくくりつけて、生きたまま水底に沈めます。
――チョット、一息つきまして。
コメント
勧善懲悪というと薄っぺらい物言いになってしまいますが、まあ溜飲が下がるお話でしたな。日がな一日こんな芝居でも観たい気になりました。
水上勉氏によりますト、語り手が聴衆の望むようにお話を語り変えていった結果、このような形に落ち着いたのだと申します。
悪人が残虐に報復されるのも、つまるところ、当時の民衆の求めた結末だと考えると、少し薄ら寒い気がしないでもありません。