どこまでお話しましたか。
そうそう、帝の信頼も篤かった湛慶阿闍梨が、一人の若い女のために破戒僧に堕してしまったところまでで――。
話は六年前に遡ります。
ある晩、いつものように勤行を終えて眠りにつきますト。
夢に不動明王が憤怒の形相で現れました。
もっとも、不動明王はいつも憤怒の形相でございます。
特段、腹を立てて現れたわけではございませんが。
わざわざ夢にお出ましになられたわけですから。
もったいなく思い、湛慶は慌てて畏まる。
平伏する湛慶に、明王が申しますことには。
「湛慶よ。汝はこれまで私によく仕えてくれた。いつでも私が汝を加護するから、安心せよ。汝はいずれ、某国某郡の何某という者の娘に堕ち、夫婦となることであろう」
これが、我々のような凡夫でしたら、ありがとうございますと素直に喜ぶところでございますが。
湛慶は仮にも仏道者でございます。
それもただの僧ではない。
不動明王に身も心も捧げた、密教僧でございます。
湛慶には明王のお告げの意図が分からない。
まるで、親から見放され、橋の下に棄てられた幼な子のような心持ちになりました。
「どうして――。この私に限って――。これまで厳しい修行にも耐え、不動明王に一心にお仕えしてきた私が――」
恐怖の谷底に突き落とされて、湛慶はすっかり青ざめている。
「――待てよ。そうだ」
ト、湛慶の心に一縷の望みが差し込みましたのは。
「その女を探しだして、今のうちに殺してしまえば良いのではないか。そうすれば、夫婦になどなりようがない。女になど堕ちようがないぞ」
人間、追いつめられた時は、無理で道理を突き破ってしまうものでして。
邪淫戒を破るまいという一心に囚われて、これは殺生を犯そうという矛盾でございます。
しかも湛慶当人は、その矛盾にまるで気がついていない。
湛慶は周囲に「修行の旅に出る」と偽って、都を後にいたしました。
某国某郡にたどり着きますト、血眼になってお告げにあった何某の家を探しました。
「ああ、何某の家なら、ほれ、その先の角ですよ。娘というのは、あれが一人きりです」
ト、教えられた家に目を向けますト――。
庭先に見えたのは、十歳ほどの小娘で。
あどけない笑みを浮かべて、毬で遊んでおりました。
「こ、こんな小娘のために――」
湛慶はそのあまりの皮肉に愕然といたしましたが。
その日は気を落ち着けるために、付近の民家に宿を取りまして。
翌日早くに、件の何某の家に赴きますト。
やはり今日も毬で遊んでいる女児に近づき、おもむろに声を掛けました。
「おや、随分古い鞠を大事に使っているんだねえ」
娘は屈託のない表情で振り返るト、言いました。
「だって、うちは貧しいから、これを失くすと、もう遊べないんですもの」
「それじゃあ、もっと綺麗な毬をあげるからついてらっしゃい」
「綺麗な毬ってどんな毬」
「綾錦で作った毬だ」
そう言って手招きをするト、小娘はわけもなくついてきます。
湛慶は村はずれの小川のそばの林に連れて行きますト。
茂みの中で突然、湛慶は振り返る。
用意した短刀で娘の首を掻き切りました。
息を弾ませながら、娘の首と胴体を小川に投げ込むト。
湛慶はあたりを見回して、走り去って行きました。
それが六年前のことでした。
十(とお)の小娘が美しい女に化けるには、六年は十分な歳月と言えましょう。
「だが、何故――。私はあの時、しっかりと根を絶っておいたはずだ」
湛慶はもう堕ちるに任せたように、女をみずからの腕に抱き寄せながら。
それでもやはり気になって、黒髪をかき分け、白い首の付け根をじっと見る。
何か糸で縫い合わせたような傷跡です。
訝しがっていると、女がくすくす笑う声がした。
「あら、あなたがつけた傷ではございませんか。フフ」
天真爛漫な笑みで振り返ります。
それから、湛慶は女に魅入られたように、逢瀬を重ねるようになりまして。
人の口に戸は立てられぬトは申しますが。
たちまち二人の仲が人々の口の端に上るようになり。
当然のことながら、湛慶は破戒僧として還俗させられてしまいます。
ところが、良房公が湛慶の学識を惜しみまして。
高向公輔(たかむこ きんすけ)の俗名を与え、臣下として朝廷に出仕させました。
俗に高太夫と呼ばれて親しまれましたが。
後に讃岐守にまで出世をいたしました。
還俗してみると、世俗の暮らしも悪くはございません。
家には美しくたおやかな妻が待っている。
つつがない日々がそこにある。
若い妻がふりまく、蕾のようにあどけない笑み――。
だが、これがかつて己が殺した小娘かと思いますト。
湛慶は時折、背筋に寒気を覚えることがありました。
蛇に見込まれた蛙のように、ふと身がすくむこともあったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「今昔物語集」巻三十一第三『湛慶阿闍梨、還俗して高向公輔と為る語』ヨリ)
コメント
高僧の犯した罪も、修行にかけた年月も、不動明王に捧げた身も、すべてを凌駕する女との因縁。
女と添い遂げることになる因縁そのものが明王の言うところの加護だったのでしょうか。
となると、仏道に励むこと自体が一体何なのか、そんなことを考えさせられる話でしたな。
仰るとおり、まさにその点がこのお話の妙なところで、不動明王のお告げは多分に矛盾に満ちております。
もしかすると、そうした論理を超越したところに、このお話の恐ろしさが潜んでいるのかもしれません。
これぞ仏法申すところの
放下でございましょう
俗世解脱も仏法解脱も同じこと
仏道は元々全てのこだわりを捨て究極の無を欣求す
あれも一生
これも一生
陰陽一体を受け入れる心こそ佳き
武士道さま
コメントありがとうございます。
なるほど。
不動明王もその境地を悟らせるため、
あえて娶せたのかもしれませんね。