こんな話がございます。
唐の国の話でございます。
御存知の通り、かの国の歴史は夏(か)王朝から始まりますが。
この「夏」という字はどういう意味かと申しますト。
おおよそ、「盛んである」とか「中心」というような意味だそうでございます。
後に、「華」の字がこれに取って代わるわけでございますが。
ところで、「中心」があるからには「周縁」もあるわけでございまして。
かの国では、それら周縁のまつろわぬ民を、東夷西戎南蛮北狄ナドと申します。
我が日の本は東夷(とうい)でございますナ。
三国志中の魏志に東夷伝という項があり、さらにその一条として倭人伝がございます。
もっとも、我々は自分がエビスだなどとは思っておりませんが。
このまつろわぬ民の中でも、殊に強大であったのが、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)で。
大群で馬を駆っては高原を自在に闊歩し、時にはこの「夏」「華」の領域を侵すほどでございました。
そればかりか、その一部、もしくは全域を支配したことさえ幾度かある。
殊に、後漢末頃にはこれらの民の華北への侵入が激しかったと申します。
とは言え、漢王朝の方でも無防備というわけではございません。
一旦、侵入されれば、大軍を持って押し返す。
時代の趨勢に従って、両勢力間の優劣も変わります。
その裏では、常に虚々実々の駆け引きが繰り広げられておりました。
さて、時代はざっと五百年ほどくだりまして、これは唐王朝の頃のお話でございます。
この頃は大唐帝国などと申しまして、漢人のほうが強力でございましたから。
中華とその周縁の関係も比較的、穏やかな時代でございました。
唐の貞元年間、西河郡に姓を韓と申す者が大理評事として派遣されてきました。
大理評事と申すのは、刑罰を司る官職でございます。
有り体に申せば、お奉行様でございますナ。
韓の家では馬を一頭飼っておりました。
これがまた、素晴らしい駿馬でございまして。
図体も大きく、足腰も強い。
非常に頑丈にできた名馬でざいます。
この馬がある朝、体中汗だくになって、息をゼイゼイ切らしていたことがある。
まるで、一晩中どこかへ遠出にでも出ていたかのよう。
厩の下男がこれを妙に思いまして、主人の韓に知らせました。
すると、それを聞いた韓は激怒した。
「何を馬鹿げたことをいいおる。馬が夜中に勝手に出歩くわけがあるか。お前が無断で馬に乗ってどこかへ抜けだしたのを、取り繕おうというのだろう」
ト、まったく信じてもらえません。
忠義心から正直に知らせたつもりが、かえって鞭で折檻されるはめになった。
ところが、翌朝も馬は同じように、体中汗だくになって、息をゼイゼイと切らしています。
下男は鞭で打たれるのが怖いですから、さすがに何も言い出せない。
夜になるのを待って、みずからその謎を探ってみることにした。
その晩。
下男が厩の陰に身を潜めておりますト。
やがて、どこからともなく、一匹の犬が近づいてきました。
よく見るト、主人の韓が飼っている黒犬でございます。
黒犬は慣れた様子で厩に忍び込んでくる。
ワンと一声吠えたかと思うト、たちまち一人の男に身を変じたのだから驚いた。
衣も冠も黒い、全身黒ずくめの男です。
どことなく異人の風情のある顔立ちで。
黒衣の男は平然と、馬にまたがって鞭を打ちました。
馬が叫ぶようにいなないて、猛烈な勢いで駆け出します。
その先に高い垣根があるので、どうするかと見守っておりますト。
黒衣の男は馬に鋭く鞭を打ち、馬も躍るようにして垣根を軽々と越えて行きました。
――チョット、一息つきまして。
コメント
前段の夏と華のことがなければ、腑に落ちない話でした。
蛮族でさらにその飼い犬ともなれば、ど真ん中にいる者たちからすれば、所詮は忠義面した猿真似と言ったところだったのでしょうか。
よく分からない敵ほど恐ろしいものはないということでしょうか。
私は、彼らが韓の家の者の名を記して、一体何をするつもりだったのかが気になります。