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逆さ吊りの女

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こんな話がございます。

ある家の妻が所用のため、数日の間、一人で里帰りをしましたが。
これはその用を終えてまた婚家へ戻る途中の話でございます。
名をおせいと申しまして、年は二十五でございました。

実家と婚家の間は女の足で半日掛かるほど離れておりまして。
普段は夫や弟が送ってくれるのですが、この日に限ってみな忙しい。
薄暗い竹藪を一人で通る頃には、もう日が暮れかかっておりました。

ト、そんな女を待っていたかのように、脇から突然現れた男がある。
これが本当の藪から棒で、おせいは思わず悲鳴を上げた。

長い髪に髭も剃らず、袖なしの薄汚い着物を着た、見るからに山賊体の大男です。
男はおせいの細腕をむんずと掴むと、無理矢理に引っ張っていこうとする。
大声で助けを呼びますが、静まり返った竹藪に虚しく響くばかりです。
じたばたと抵抗していると、男が振り返って諭すように言った。

「何も取って食おうと言うわけではねえ。ただ、俺の嫁になってくれればいい」
「待って。私には夫があります。それに家には子どもが二人待っていますから。どうか離してッ」

ト、おせいはあくまで抵抗する。
それを見て山賊は呆れた顔をする。

「だって、お前。考えてみろ。家に帰れば、毎日仕事に追われるわ、飯だって麦飯に菜漬けを掻き込むのがせいぜいだろう。俺のところに来れば、そんな苦労はさせないぞ。家で遊んで暮らせるし、うまいものも毎日食わせてやる。どう考えたって、その方がいいではねえか」

ト、どこまでも勝手な理屈を押し付けてくる。

おせいはついに大声で泣き叫びましたが、男は気にもいたしません。
ひょいと肩に担いで藪の中へのしのしと入っていった。

しばらく行きますト、徐々に辺りが開けてまいりまして。
野原の中に一軒家が建っているのが見えました。
大きな家で、作りも立派でございます。
ちょっと見ると、名主か代官の屋敷のようにしか見えません。

男は部屋の中でおせいを下ろすト、まじまじと顔を見ながらこう言った。

「今日からお前はこの家の女房だ。苦労はさせない。外に出さえしなければ、うまいものも毎日食わせる。騙されたと思って、ひと月暮らしてみろ。そしたら、きっと分かる。それでも嫌なら帰してやるから、そう泣くな」

おせいはそれでも泣いておりましたが、そうしているうちに食事が運ばれてまいりました。
見るト、確かに男が言ったとおりのご馳走で。
実家も婚家も百姓ですから、こんな贅沢な食事は見たことがない。




それでも夫や子供のことを考えますト、とても食べる気にはなれません。
しばらくは膳に手を付けることもなく、ただただ泣き暮らしておりました。

ところが、人間とは現金なものでございます。
ただ情のためだけに生きているものではございません。

飯を食わなければ、腹が減るのは当然で。
腹が減ると、飯を食いたくなるのもまた道理。
三日ほどはなんとか意地を張っておりましたが、ついに耐えられなくなって一口箸をつけてみた。

すると、その飯のうまいこと、うまいこと。
腹が減っていたことももちろんあるにはありますが。
海の幸、山の幸がふんだんに取り揃えられている。
今まで食べたことのないものばかりです。

おせいは決して夫や子供のことを忘れたわけではございませんが。
ひと月すれば帰してくれるのだからト、考えまして。
その後はすこしずつ食事を口にするようになり。
結局、ひと月経っても、自分から帰りたいとは申しませんでした。

おせいは毎日うまいものを食って、部屋の中でごろごろしている。
男が絵草紙などをあてがってくれましたから、特に退屈もいたしません。
何より、男が夫婦の交わりを求めないので、おせいにとっては気楽な日々で。

それでも、絵草紙を全て読み終えてしまうト、やることがない。
外へ出ることは男に固く禁じられております。
徐々にここでの暮らしが退屈になってきた。

近頃では、男もすっかり安心しきっている。
おせいは、男が昼寝した隙を狙って、こっそり外へ出てみました。

広い庭を歩いて行くと、大きな蔵がありました。
近づくと、中から人の話し声がしてきます。
ピチャンピチャンと、雨漏りのような音も響いている。
おせいは好奇心から中を覗いてみた。

ト、そこに広がっていた光景を目にして、腰を抜かさんばかりに驚いた。
同時に、これまで怠惰に耽ってきた己を心から恥じました。

蔵の中では、たくさんの女たちが、天井から逆さ吊りにされている。

――チョット、一息つきまして。

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