こんな話がございます。
よく魑魅魍魎ナドと申しますが。
実は魑魅と魍魎は別物であることを、ほとんどの方はご存知ないようで。
かく言うわたくしも、つい今しがた知りましたが。
魑魅は山の怪、魍魎は河の怪を指すそうでございます。
更に申せば、魑は虎の姿を借りた山の精霊。
魅は猪の頭に人の胴体をした、沢の精霊が原義だそうで。
いずれにしましても、山には陰陽の気が籠もっておりますから。
その気に乱れが生じますト、これら魑魅となって怪をなすのだそうでございます。
さて、お話は天正五年のこと。
松永久秀と申す武将が、かつて足利将軍を影で操っておりましたが。
その後、織田信長の軍門に一旦降りながら、この年になって謀反を起こしました。
その配下に小石伊兵衛尉と申す勇者がございまして。
今まさにこの者が、河内国片岡城に籠城しております。
ところが松永勢は劣勢、信長軍は勢い盛んに押し寄せてくる。
小石はもはやこれまでト、夜陰に乗じて城を脱出いたしました。
それに先立って、小石は、弓削と申すところに妻の身を隠させておりました。
ト申しますのも、当時、妻が懐妊しておりましたので。
小石は妻と落ち合いますト、手を取り合って竜田道を越えていきました。
ところが、ただでさえ身重の体に、夜の山越えは難儀でございます。
峠までやってきた時には、妻はすっかり疲弊しておりました。
とは言え、ここで敵兵に見つかっては元も子もございません。
道の脇の茂みの中へ半丁ほど入って休んでおりますト。
二人を追いかけてくるように、女の声が泣きながらこちらへ近づいてまいります。
こけつまろびつ、ほうほうの体で山道を駆け上がってくる様子。
耳を澄ましてよく聞いてみますト、これはナント長く召使ってきた女童(めわらわ)の声。
この女童は、弓削で妻の世話をさせていた者でございます。
足手まといになってはト、そのまま弓削に置いてきたのでございました。
主家を慕って追いかけてきた、その心ばえがいたわしく、
「どうした。わしらはここにおるぞ」
ト、呼び止めますト、女童は安堵と嬉しさの入り混じった声で、
「お殿様。私はどこまでもお供いたしますものを、どうしてお連れくださらないのです。主なくして生きながらえる甲斐などございません。どうか一緒にお連れくださいませ」
ほんの子どもの決死の覚悟を知り、小石と妻は愛おしさに感じ入る。
危険ではありますが、味方の根拠地である大和国まで同行させることにいたしました。
三人で茂みの中で休んでおりますト、やがて妻がにわかに産気づいて、苦しみ出しました。
山中の夜更け。その上、今宵は月が出ない。
鼻をつままれてもわからないような暗闇の中で、男の小石はおろおろするばかり。
ト、この女童がかいがいしく世話を焼きまして、無事に赤子を出産させました。
「この者がいなければ、一体どうなっていたことであろう。よくぞ跡を追ってきてくれたものだ。主君冥利に尽きるとはこのことよ」
夫が思わず呟きますト、妻も笑顔で頷いた。
――チョット、一息つきまして。