こんな話がございます。
源頼朝公の腹心に、文覚(もんがく)という僧侶がございました。
俗名を遠藤盛遠(もりとお)と申しまして。
摂津源氏の渡辺党の傍流、遠藤氏の出でございます。
まだ文覚が十七歳の血気盛んな若武者だった頃のこと。
盛遠には衣川(ころもがわ)と申す叔母が一人おりました。
奥州衣川に縁付いたため、そう呼ばれておりましたが。
当時はすでに故郷に戻っておりました。
若いころは見目形麗しく、心ばえもやさしいことで評判でございましたが。
今はまだ若いながら寡婦となり、ひとり寂しく暮らしております。
この衣川には愛娘がひとりおりまして。
名をあとまと申しましたが。
衣川の子だというので、人々からは「袈裟」と呼ばれておりました。
この娘もまた、親に似て美人でございます。
青い黛を引いた眉に、丹花のごとき赤い唇。
その愛らしさは楊貴妃もかくやと思わせるほどで。
十四の春を迎えた頃には、名だたる貴人が我も我もと、求婚に押しかけたと申します。
その中に、源左衛門尉渡(げん さえもんのじょう わたる)と申す、一門の若者がおりまして。
この者が袈裟の心を射止めまして、二人は晴れて夫婦となりました。
若者同士、仲睦まじく、三年の月日がつつがなく過ぎていきましたが。
袈裟が十六、盛遠が十七の年でございます。
その年の三月、淀川に渡辺橋が掛けられまして。
橋供養――渡り初めですナ――が執り行われました。
盛遠は直垂、鎧、烏帽子、長刀という出で立ちで、その場を取り仕切っておりました。
供養が滞り無く終わりますト、三々五々、帰宅の途に就きます。
その時、盛遠の目に一人の女が見えた。
橋のたもとに設けられた桟敷から輿に乗り込もうとしている。
世にも美しい女でございます。
盛遠はどこの女だろうかト、輿の跡をひそかにつけました。
すると、辿り着いたのは同じ北面の武士にして、同族の源左衛門尉渡の家。
「なるほど、これが俺の叔母だという衣川の娘か」
ト、この時、盛遠は初めて従妹である袈裟の素顔を知りました。
実は三年前、盛遠もその美貌を噂に聞き、求婚していたひとりではございますが。
叔母に当たる衣川から、人づてに拒絶されていたのでございます。
すでに荒くれ者の評判が立ちすぎていたからかもしれません。
盛遠は袈裟の美しさがまぶたに焼き付いて離れない。
その年の秋まで実に半年もの間、寝ても覚めても袈裟のことばかり考えておりました。
そしてついに、九月の半ば。
盛遠は意を決して、衣川のもとを訪れます。
衣川の前へ通されると、あろうことか盛遠は刀を抜く。
髪をひっつかみ、腹に刀を押し当てます。
衣川は突然の狼藉になされるがまま。
賊が甥の盛遠であると知るト、なおいっそう困惑して言いました。
「甥と叔母との間でなんの恨みがあると申すのです。きっと誰かに悪言を吹きこまれてきたのに違いない。一体どうしたのか、おっしゃいなさい」
盛遠は容赦なく目をカッと見開き、叔母衣川を脅すように言う。
「いかに叔母と申せど、我を亡き者にしようと言うならば、もはや敵同然。渡辺党の習いとして、敵を生かしておくわけにはまいらぬ。三年前、袈裟御前を妻にしたいと人づてに申し入れたのを、拒まれたであろう。以来、恋に煩いて、我が命は草場の露のように消え入らんばかりだ。これが敵でなくてなんだと申す」
ト、まったく言いがかりというより他にない。
衣川は腹にぐっと刀が押し込まれるのを感じて、打ち震える。
もはや、偽ってでも命乞いをするしかございません。
「そこまでそなたが思っていたと知っていれば、渡にやりはしませんでしたものを。貧しい身なれば、どなたか頼もしいお方にと思っていたところを、あれが奪うようにして連れ去ったのです。これほど思われているのなら、たやすいこと。まず、刀をお収めなさい。今宵、ここに袈裟を呼んでこさせましょう」
鼻息の荒い者ほど、落ち着いて諭されると従順になる。
盛遠は素直に刀を鞘に収め、「それでは今宵」ト、念を押して去って行きました。
――チョット、一息つきまして。