こんな話がございます。
唐土(もろこし)の漢の時代の話でございます。
かの国の汝南郡は汝陽なる地に。
西門亭ト申す旅舎がございましたが。
この宿はある不名誉な噂で、人々によく知られておりました。
それは、夜に二階に泊まる者があるト。
必ず怪異があるトいうことでして。
何者か、いや、呪いか祟りか、ともかく何らかの気が現れまして。
旅客の精気を、白髪になるまで抜き取ってしまう。
その噂が遠く都まで届いているほどでございました。
さて、ここに鄭奇と申す豪胆な男がございまして。
この者は汝南郡の役人でございますが。
こちらは神をも恐れぬことで、人々からよく知られておりました。
ある時、鄭奇は所用で汝陽へ向かいましたが。
あと数里ほどというところで、日が暮れてまいりました。
ト、そこへ、
「あの、お役人様でございますか」
暗がりから突然声を掛けてきた者がある。
見れば若い女で、不安げな様子でこちらを見ている。
「旅の者でございますが、このまま行きますと汝陽へも着かぬうちに日が暮れてしまいます。女の一人旅で何分、不安でございます。どうかお役人様にご同行願えないでしょうか」
役人を用心棒に使おうという、なかなか如才ない女でございます。
もっとも女の一人旅ト申しますから。
暗がりで役人にすがりたくなるのも無理はない。
鄭奇も何であれ、頼られるのは悪い気はしないたちでございますから。
「良かろう」
ト、一言答えました。
女は相変わらず不安げな顔つきで。
肩を寄り添うようにして並んで歩きます。
物堅そうですが、なかなか美しい女でございます。
――こういう女こそ落としてみたいものだ。
どうせ汝陽で泊まらざるを得まい――。
ナドとけしからぬことを考えておりましたが。
その時、ふと思い出しましたのは。
己は今宵、例の怪異の宿に泊まることになっている。
しかも、手配してあるのは二階の部屋。
これは先方から満室と知らせが届いたのを。
二階に泊まると返事を返したものでございます。
その時は、まさか女連れになるとは思っておりませんでしたので。
期待をしておいて、いざというところで逃げ出されてはたまりません。
あらかじめ断って、女の反応を探ってみることにした。
それで嫌だと言うなら仕方がない。
「俺は汝陽に着いたら、西門亭に泊まることになっている」
女は事情に暗そうな口調で、
「それはお役人様がお泊りになるような宿でございましょうか」
ト、おずおずと尋ね返してくる。
「いかにも」
ト、鄭奇はちらりと女を見る。
女は心なしかホッとしたような表情で。
「どこまでもお頼みばかりで申し訳ございませんが、なんとか私を妻と偽って、一緒に泊めてもらうわけにはまいりませんでしょうか」
この申し出に鄭奇の方が驚いた。
これが我が国ならば、鴨が葱を背負ってト言いたくなるところでございます。
「女の一人旅ですと、どの宿も面倒を嫌って泊めてくれないと申します。お役人様の妻ということであれば、問題なく泊めてもらえることと思います。ご面倒さまではございましょうが、泊まるところがないと難儀いたしますので、是非――」
ト、懇願いたします。
どうやら、役人は男でないと思っている。
――チョット、一息つきまして。