こんな話がございます。
ある山深い村に若い夫婦がおりまして。
夫の母親と三人で、同じ屋根の下に暮らしておりました。
ある冬のこと。
大歳(おおどし)、つまり大晦日の晩のことでございます。
外はしんしんと雪が降っている。
三人はこの年最後の食事を終えて、囲炉裏にあたっておりました。
嫁は何だかそわそわとする。
自分でもよく分かりませんが、今日に限って心が落ち着きません。
ちらりと姑の方を見る。
いつにもまして、険しい表情で囲炉裏の火を見つめておりました。
囲炉裏の火越しに見えたその姿が。
炎に包まれたようにゆらゆらと揺れている。
嫁はふっと魅入られたような心持ちになった。
「これからは、お前が火種を守らなければならねえ」
姑が炎を見つめたまま、嫁に言いました。
嫁はどきっとして、夫の方に思わず目をやる。
夫は、安心させようと、深く頷いてくれました。
ト、二人の視線を遮るように、姑が冷たく言い放った。
「囲炉裏の火を消さずに守るのは、女の仕事だ。これまでは、お前なんかにゃ務まらねえと思って、わしがやってきたが、いつまでも甘やかして、ただ飯食わせておくわけにもいかねえからな」
姑は一切、嫁の顔を見ようとしない。
そのまま、すっと立ち上がると、奥の寝間へと消えていった。
その様子が、嫁にはまた、何故か嘘らしく見えました。
何か、水面に映る影でも見たかのような――。
ともかくも、火種を守れと言い渡されまして。
嫁は心底から不安に陥った。
この家に嫁に来た当初から、姑は厳しく当たる人でございました。
いつもいかめしい表情で応対し、ちょっとしたことで腹を立てる。
何も問題がない時でも、昔のことを持ちだして、嫌味を言う。
自分を認めてくれない、任せてくれない。
嫁にはこれが最も堪えました。
これまで何度、里に帰ろうとしたことか分かりません。
しかし、そのたびに夫が優しく諭してくれて、これまでやってきたのでございます。
そんな姑が、大歳の晩になって、突然、火種を守れト言いだした。
明日は元日という大事なときに、急に試すようなことを言われまして。
嫁は崖の上に一人で立たされたような気分になった。
先程からの胸騒ぎは、きっとこのせいだったのかもしれません。
「なに、コツさえ掴めばわけはねえ。一晩中見張ってなければならねえようなものでもねえからな。そう青くなるな」
ト、夫は冗談めかしながら、励ましてくれましたが。
妻は、もし万が一のことがあった時に。
姑がどう反応するかと思うト、気が気でない。
やがて、促されて、夫と二人で寝間へ入りましたが。
目をつぶるト、どうしても火種がシュンと消える光景がまぶたに浮かぶ。
夫が寝入ったのを確かめるト、妻はこっそり床を抜け出しまして。
そっと囲炉裏端に行ってみた。
暗闇の中、炭にフーっと息を吹きかけてみますト。
真っ赤な火がボーッと闇の中に膨らみました。
いつまでも吹いていたい気持ちではありましたが。
あまり吹きすぎると火種が尽きてしまう。
人が夜には寝るのト同じで、火種も夜には寝かせてやらないトいけません。
そこへ――。
コトコト、コトコト、コトコト――。
表の戸が風に吹かれて、コトコトと音を立てる。
雪に冷やされた夜風が、スーッと戸の隙間から入り込んできた。
――風に消されてしまっては大変だ。
そう考えたのも無理はありません。
――そうだ、火種を分けて取っておこう。
この家では、竈の火は囲炉裏から火種を持ってきて移すのでございますが。
嫁は、風で囲炉裏の火種が吹き消されてしまわないうちに、竈にも移しておこうと考えた。
土間に粗朶(そだ)が積んである。
嫁はそっと降りていって、手頃な枝を一本手にしますト。
再び上がって、囲炉裏の前に戻り、這いつくばる。
火種に当てて、燃え移るのを待ちました。
やがて思い通りに、枝に火が着きまして。
その火を大事に土間の竈へ運んでいこうとする。
ト、あまりに火に気を取られすぎておりましたためか。
ドンと、障子に頭からぶつかってしまいました。
その瞬間、破れ障子に火が燃え移りまして。
外は雪とはいえ、紙は紙でございますから。
あっという間に、火がドンドン燃え広がる。
ぱちぱちト跳ねるような音がいや増しになるにつれ。
嫁の心は千々に乱れまして。
早く消さなければ家が燃えてしまう――。
トいう焦りが当然、先立ちはしましたが。
このまま放っておけば、姑は焼け死んでくれるのではないか――。
そんな鬼女のような考えが頭をかすめもした。
しかし、夫を巻き込むわけには行きませんので。
やはり、慌てて桶に水を汲みまして。
障子に燃え移った火に、懸命に水を掛けましたが。
なんとか、火を消し終えた時に、ふと恐ろしい予感がいたしまして。
囲炉裏端に慌てて駆け寄ってみますト。
あろうことか、火種もすでに水をかぶって。
無情にも消えておりました。
――チョット、一息つきまして。