どこまでお話しましたか。
そうそう、伝蔵が奉公した屋敷で、大八郎と申す足軽が、金貸しの重助を殺してしまったところまでで――。
大八郎は、重助の死骸を手早く油紙で包みますト。
それを竹行李の中にねじ込みまして。
慌てて肩に担ぎあげるト、二階へ階段をトントントーン――。
ト、駆け上がっていこうとしたところへ。
折り悪く帰ってきたのが、伝蔵でございます。
「旦那、夕飯の支度をいたしましょう」
「今日は飯はいい」
「それでも、精をつけなくっちゃ、治るものも治りません」
「いいったら、いいのだ」
大八郎はイライラしながら言いのけるト、急いで階段を上がっていこうとする。
「おや、旦那」
「なんだ、いちいちうるせえ奴だな」
「竹行李から何か滴っておりますが。――オヤ、血だ」
さしもの大八郎もドキッといたしまして、
「鼠がチョロチョロと鬱陶しいから、斬り殺してやったのだ。お前も五月蝿くすると、こうなるぞ」
ト、なんとかごまかした。
そうして、伝蔵を牽制しておきまして、二階へ行李を運びますト。
すぐに階段を降りてきて、伝蔵を睨みつけました。
「俺は湯へ行ってくるからな。決して二階へ上がるなよ」
伝蔵は何のことやら分かりませんが。
とりあえず大八郎が戻るまでに飯の支度をしなければト。
慌てて炊事にかかりました。
それから、台所をせわしなく動きまわりまして。
すっかり飯の支度を調えて、大八郎を待ちました。
ところが晩になっても、当人が一向に帰ってまいりません。
伝蔵は、今晩にもおみつが子を産みそうだト、聞かされておりますので。
大八郎に飯を食わせて、早く家に帰りたい。
焦る心を落ち着かせようト、壁にもたれて煙草を喫む。
ト――。
ポターリ、ポターリ。
ポターリ、ポターリ。
天井から、真っ赤な血が滴り落ちてくるのに気がついた。
その量からして、とても鼠の血とは思えません。
なんだろうト、二階へ上がる。
無造作に置かれた竹行李から、鬼火がスーッと立ちのぼるのが見えました。
火の玉は北の窓から夜空へと飛び出していく。
驚いてのけぞった拍子に、伝蔵は手をついた。
ト、何やら妙な手触りがする。
見るト、それは男の髷。
生首が己の手の下にある。
思わず悲鳴を上げて飛びのきますト。
ちょうど、そこへ大八郎が帰ってくる。
「あれほど二階へ上がるなと言ったろう。見たからにはただではおかねえ」
伝蔵は殺されると思って、わなわなと震えだす。
「安心しろ。ちょうど、お前みたいな奴を探していたところだ。その死骸を背負って捨ててこい。そうだな。数寄屋河岸のあたりに投げ込んでくるがいい」
そう言って、大八郎は重助の死骸を風呂敷包みにして、伝蔵に無理やり背負わせる。
伝蔵はぶるぶる震えながら、屋敷の門を出ていきました。
――誰にも会わなければいいが。
ト、案じている時ほど出くわすもので。
「おお、伝蔵じゃねえか」
夜道で脇から呼びかけてきた声がある。
同じ長屋に住む左官の棟梁でございます。
「なんだい、その背中の風呂敷は。たいそう重そうに見えるが。俺が背負ってやろうか」
「いえいえ、とんでもない。これはその、お殿様から預かった大事な品でございまして」
「お殿様からだと。そんな大変なものを、お前なんぞに託すのか。中身は何だ」
「いえ、ですから、それが言いたくても言えないものでして」
ナドと、懸命にごまかしておりますうちに。
死骸を捨てる機会を失ったまま、長屋に着いてしまいました。
家ではおみつが大きな腹をのけぞらせて待っている。
「お前さん、疲れたろう。今、お茶を淹れるよ」
愛しい女房の声でございますが、今日ばかりはまともに耳に入ってこない。
伝蔵は、いそいそと奥の間に入っていきますト。
風呂敷包みを、押入れの奥にしまいこんで、戸を閉めた。
おみつの出す茶を喉に流し込みながら。
伝蔵は必死に死骸の始末を考えます。
「いっそ、重助さんの家に運んで、事情を打ち明けよう。弔いでも出してもらった方が、ホトケのためにもなるだろう」
そう心に決めますト、押入れに死骸を包んだ風呂敷を隠したまま、一目散に家を飛び出した。
亭主の伝蔵が、なにか様子がおかしいまま、飛び出して行きましたので。
おみつは不審に思っている。
お腹は今にもはちきれそうでございます。
苦しくて追いかけるわけにも行きません。
ただじっと亭主の帰りを待っておりますト。
「ごめんください」
ト、戸口で女の声がした。
ハイと答えて出て行くト、まるで見知らぬ女が立っている。
それが、まるでこの世の者とは思えないような、色の青白い女です。
おみつは少し嫉妬を感じながら、
「どなたです」
ト、努めて平静を装って尋ねますト。
「私は重助の妻でございます」
ト、答えます。
おみつは、重助ナドという人は知りませんから、
「どんなご用件でしょう」
ト、訝しげに問い返しますト。
「実は夫がこちらでご厄介になっているそうで」
おみつは、ますます意味がわからない。
「そんな人は来ていませんよ」
「いいえ。確かでございます。先程、高田大八郎という客が押し込んでまいりまして、金を返してくれるどころか、私に突然斬りかかったのでございます。しばらく気を失っておりますと、頭のあたりに夫が現れまして、『俺もお前と同じ身の上になってしまった。伝蔵さんの家の押入れに風呂敷包みになっているから、会いに来てくれ』と申すのでございます」
ふと、女の姿を見ると、確かに着物が血で染まっている。
おみつはぞっと血の気が引く思いがいたしまして。
「あの、ちょっと。ここでお待ち下さい」
そう言い置いて、隣りに住むお婆さんのところへ駆け込んだ。
かくかくしかじかと事情を説明しますが、お婆さんもにわかにはそんな話を信じません。
「そういうのは、きっと手の込んだ空き巣だよ。安心おし。私が一緒に行って見てやるから」
二人で家に戻りますト。
件の女はすでに勝手に上がりこんでいる。
薄暗い奥の間で、何かごそごそと探しています。
「ほらご覧。あれは空き巣に違いないよ」
言われて、おみつが恐々と覗き込みますト。
女は風呂敷包みを探し当て。
勝手にそれを解き始めた。
それを見て、お婆さんが今だとばかりに駆け上がる。
「お前さん、何をしているんだい」
ト、どやしつける。
女が振り返る。
追いかけてきたおみつの目に、とんでもないものが飛び込んできた。
血に染まった手足に、生首が――。
ばらばらになって、風呂敷に包まれている。
おみつは驚きのあまり、逃げ出そうとしましたが。
土間でつまづいて、ドスーンと倒れこみました。
その拍子に、腹がとうとうはち切れたものと見えまして。
「おぎゃあ」
ト、元気な産声が聞こえました。
これが、後に毒薬のために顔が醜く腫れ上がり。
騙した夫に恨みを抱きながら死んでいった。
お岩さんの出生譚であるという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(講談「重助殺し」ヨリ)