こんな話がございます。
唐の国の話でございます。
我が日の本では、都が奈良にあった頃のことでございます。
金陵の地に、陳仲躬(ちん ちゅうきゅう)ト申す者がございました。
富裕な家庭に育ちまして、また生来の学問好きでございます。
千金の金を携え、洛陽へ遊学に行きました。
洛陽に着きますト、清化里という地に一人で住まい始めました。
この家には大きな井戸がございました。
以前から、人が落ちて溺れることが、よくあったそうでございますが。
仲躬は学問にのめり込むあまり、外へ出ることもございませんでしたので。
全くこのことを気にせずに過ごしておりました。
それから月日が流れまして。
ある時、隣家の十歳ばかりの女の子が、この井戸に落ちてしまいました。
毎日水を汲みに来ていた娘でございましたが。
ふとしたはずみで落下し、亡くなったとのことでございました。
井戸は深く、家内の者が総出で井戸浚いをいたしまして。
ようやく亡骸を引き上げたとのことでございます。
この時に至りまして、仲躬もようやく事の重大さを思い知りまして。
みずからこの井戸の上から底を覗き込んでみますト。
突然、水面に、一人の女の影が映りました。
年は若く、当世風の身なりをしております。
訝しく思った仲躬が、じっとこれを見つめておりますト。
女は赤い袖で顔を半分隠し、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
その笑みの裏に、何か妖艶な気配が漂っている。
仲躬は危うく心を奪われそうになる。
我知らず身を乗り出して、女の頬に手を伸ばそうとした。
しかし、そこは好学の徒でございますから。
なんとか我に返って持ちこたえ、井戸を離れて考える。
「なるほど。これが人を引きずり込んでいた妖物に違いない」
ト、慎重にその場を去りました。
それからまた、幾月かが経ちまして。
暑い夏のことでございます。
周辺一帯は酷い旱魃に襲われましたが。
この井戸だけは、常に豊かな水を湛えておりました。
ところが、ある時のこと。
突然、この井戸が一夜にして枯れてしまった。
底を覗いてみましても、一滴の水も残っておりません。
訝しく思っている仲躬のもとへ、その晩、訪ねてきた者があった。
「敬元頴(けい げんえい)と申す者にございます」
扉の外から聞こえてきたのは、うら若い女の細い声。
仲躬が戸を開けますト、入ってきたのは、件の女。
そう、井戸の底に揺らめいていた女でございます。
色鮮やかな衣を身にまとい、図ったように今時の装いで飾っている。
仲躬はここで色に堕ちるわけにはまいりませんので。
女に席を勧めるト、単刀直入に尋ねました。
「人を引きずり込んで命を奪うのは、一体、どうしたわけです」
女はそれを聞くと、悲しそうな表情を浮かべまして。
「私が人の命を奪ったとおっしゃるのですね。それも無理はございません。そうお考えだろうとは思っておりました。今日はその誤解を解きにまいったのでございます」
「誤解と言うと――」
女は身を乗り出して、語り始めました。
その表情にはもう媚びるような気色はございません。
仲躬はそれでもまだ、警戒を解きはしない。
――チョット、一息つきまして。