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妲己のお百(二)桑名屋乗っ取り

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どこまでお話しましたか。
そうそう、桑名屋への奉公が決まったお百に、海坊主の妖気が迫ってきたところまでで――。

新助は妹の帰りが遅いので、心配して通りに出てみますと。
暗い路地にお百が倒れているのに気が付きました。

「兄さん、色の真っ黒な、大きな、のっぺりとしたおかしな坊主が――」

長屋の人達も集まって、新助とともに介抱しておりますト。
ようやく気のついたお百が、開口一番、妙なことを言い出しました。

「のっぺりとした坊主だと」

お百は気を失うまでの経緯を話しますが、誰も信じてくれません。

それでも、ともかくその後は何事も無く過ぎましたので。
お百も次第に黒坊主のことは忘れていきました。

それから四、五日したある夕方のこと。
お百はいつもの様に湯屋へ行く。
ところが、帰ってくるなり、また妙なことを言い始めました。

「兄さん。湯屋に行ったら、みんなが私の背中を見て、肩から袈裟懸けに赤い痣があると言うんです。見てやってくださいな」

なるほど、雪のように白い肌に、牡丹のように真っ赤な痣。
まるで袈裟懸けに斬られたように、くっきりと付いている。

新助も妙には思いますが、かと言って医者でもございません。
痣があるのは分かったが、何とも処置のしようがない。

ところが、それからというもの――。

日を追うごとに、お百は人が変わっていきました。
誰からも好かれるほどに愛想の良かった人柄が。
まるで嘘、偽りであったかのようにでございます。

長屋の衆には毒を吐く。
兄の新助には妙な色目を使ってくる。

新助も弱り切ってしまいまして。
何とか化けの皮が剥がれる前にト。
焦って桑名屋へ送り込んだのが。
誤りのもとでございました。

新助はおきよに、妹お百を売り込みまして。
その翌日、さっそく本人を桑名屋へ連れて行く。

おきよが見てみると、色は白く髪は黒く。
目はぱっちりとして、口はおちょぼ口で。
女が見ても、申し分のない別嬪でございます。

「よし、新助の妹なら間違いはないだろう。この子にしよう」

ト、あっさり決めてしまったのは、おきよも誤りでございます。

ト申しますのも、初めのうちこそ、働き者で通っておりましたが。
奉公から三年目、十六の年でございます。
桑名屋主人の徳兵衛が、このお百と妙な仲になった。

おきよがまるで実の妹のように、着物など与えて、世話を焼いてやるものですから。
徳兵衛もお百も、次第にたがが外れてゆく。
おおっぴらに寄り添い合って、外へ出掛けるようになりました。

実はおきよの実家は、河内屋ト申す大きな廻船問屋でございましたが。
津波のために店が流れて、親類縁者が一人も残っておりません。
帰る家のないおきよは、見て見ぬふりをして、耐えるより他になかったのでございます。

それを知ってか知らぬか、お百も徐々につけあがるようになりまして。
ある時、徳兵衛の部屋にやってまいりますト、涙を流して訴えた。

「旦那様、どうか私にお暇をくださいませ」

その言葉に、徳兵衛はびっくりいたしまして。

「突然、何を言い出すのだ」

ト、詰め寄ります。

「私が何を言っても、ご本妻には勝てません。かと言って、このままお家の災難を黙って見過ごすのも、心苦しゅうございます。これ以上板挟みに遭うのは私も辛いですから、どうかお暇をくださいませ」
「本妻だの、お家の災難だの、板挟みだの、一体何のことだ。――いや、待てよ」

徳兵衛は、すでにお百の毒牙にかかっている。
そんなことも知らずに、情けのない得意顔。

「さては、おきよがお前に嫉妬して虐めるのだろう」
「いえ、違います」
「いや、そうだ。だから、泣いているのだろう。ありのままに言ってみろ。この家のことは主人である私が決めることだ」

ト、徳兵衛も徐々に鼻息が荒くなる。

「そう言われては私も立つ瀬がございません」
「いや、言いなさい」

お百は、いかにも弱った様子で、

「それでは申し上げますが――。旦那様、奥様には間男がございます」
「な、なんだと」

予想もしなかったお百の答えに、徳兵衛は一気にのぼせ上がった。




「以前、旦那様がお取引のことで、備後の尾道へおいでになったことがございましょう。あの時、私が用事があって土蔵に入りますと、奥様があの当時の番頭の喜兵衛さんと――」
「なに、喜兵衛だと。この間、金を持ち逃げして行方をくらました、あの喜兵衛か」

その日、おきよが寺参りから帰ってまいりますト。
徳兵衛は有無を言わさず、女房を土蔵へ連れて行きました。

「この女狐めッ。喜兵衛に金を渡して逃がしたのは、お前だったか。その腹の子も、大方、喜兵衛の子なんだろう」

おきよは反論しようにも、あまりに訳が分からない。
まごまごしているうちに、殺気立った徳兵衛に、足を縄でぐるぐる巻きにされてしまった。

「あッ」

ト、声を上げた時には、土蔵の屋根の梁から逆さ吊りにされていた。
臨月の大きな腹が顔に向かって垂れてくる。

それから三日の間、おきよは大きな腹をあごで支えた格好で。
飲み物も食い物もろくに与えられず、ほとんどの時間を天井から吊るされておりました。
その間、自身が引きずり降ろされた本妻の座に、お百が収まっていることも知らされずに。

三日目の晩に、二人分の重みに耐えかねたのか、縄がぷっつりと切れまして。
おきよは、どーんと地に叩きつけられて、そのまま気を失っておりましたが。

それからどのくらいの時が経ったものか。
気がついてみると、暗く冷たい土蔵の中。
あられもない乱れ姿で倒れている。

身に着けているのは湯文字に襦袢ばかり。
着物はいつの間にか脱がされていたようでございます。
履いていた下駄も足袋も見当たらない。

「痛いッ――。お腹が痛いッ――」

お腹の子がしきりに疼きます。

「ダメだよ。今、こんなところに生まれてきてはいけないよッ」

何とか、人を頼って安全にお産をしたいとは思いますが。
親類縁者のないおきよには、頼れるのは夫の徳兵衛ただ一人。
その徳兵衛に、こんな理不尽な目に遭わされたとあっては、もはやどうして良いのかわからない。

その時、ふと思い出したのは、お百の義理の兄の新助の顔で。

「新助なら――。新助なら、なんとかしてくれるだろう――」

重い土蔵の戸を開けると、そこは一面の雪景色。
おきよは襦袢に裸足でございます。
お腹の子は、この世に生まれる時を今か今かと待っている。

「ええいッ。ままよ――」

ト、飛び出したはいいものの――。

「おかみさん、おかみさん。気を確かに持ってくださいよ」

そう揺すり起こされた時、おきよはすでに新助の家に寝かされておりました。

「おかみさん。本当に申し訳ないことをいたしました。私がお百を紹介しましたばっかりに」

ト、こちらはすでに事情を了解している様子。

「新助、そんなことはもう責めないから、ともかく産婆さんを呼んできておくれ」
「わかりました。むさ苦しいところですが、ここでしばらくお待ち下さい」

新助は知り合いの産婆の家へ飛んで行く。
腰の曲がりかかった産婆を、雪の上を引きずるようにして連れ帰る。

戸を開ける。
おぎゃあ、おぎゃあト、赤子の泣き声。

その元気な男の子の頭の上に。
赤黒い血の池ができており。
大きく足を開いたまま。
河内屋の一人娘が息絶えていた。

新助は、義理の妹お百との縁を。
心のなかできっぱりと断ち切りまして。

己がこの子を立派に育て。
いつか敵を討たせようト。
心にそう決めました。

これを知った雑魚場の魚屋連中が。
おきよの弔いを買って出まして。
魚屋だらけの奇妙な葬列が、町を練り歩いていきました。

桑名屋のおかみ、元は河内屋の一人娘の棺を担いだ一行は。
桑名屋の前にその棺をドンと下ろしますと。

「おかみさん。ここがあなたの仇の家でございます。今夜から化けて出て、桑名屋の土地にぺんぺん草を生やしておやりなさい」

この一言に女霊も背中を押されたものでございましょうか。
後に廻船問屋の桑名屋は、ぺんぺん草どころではない目に遭わされるという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(講談「秋田騒動 妲妃のお百」ヨリ)

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