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右も左も同じ顔 玄陰池

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どこまでお話しましたか。
そうそう、暑さのため路傍で倒れ掛かっていた石憲が、見知らぬ僧に誘われて、森の奥深くにある池にやって来たところまでで――。

大勢の僧侶たちが、池の中を実に気持ちよさそうに泳いでおります。

水は清く澄み切っている。
底に鏡でも敷いてあるかのよう。
ところどころに水草が揺れておりますが。
その一本一本が手に取るように見えるほどで。

ある者は岸から飛び込んだり。
ある者は顔だけ出して泳いだり。
深く潜っていく者もあれば。
突然水底から跳び上がってくる者もある。

僧たちは思い思いに、水浴びを楽しんでいる様子でございます。

「どうです。道端で気を失いかけているよりは、よほどいいでしょう」

僧は得意気に石憲に語りかけた。

石憲も長い間この辺りを旅して回っておりますが。
こんな楽園のような場所があったとは、全く知りませんでした。


石憲は僧に案内されるまま。
池の周りをそぞろ歩く。
そのうちに、ふとあることに気づいた石憲は。
たちまち、背筋に寒いものを感じました。

――右も左もみな同じ顔だ。

広い池に戯れる大勢の僧侶たちの。
顔がみな、判で押したように同じであることに。
石憲は図らずも気づいてしまった。

やぶにらみの細い目。
あばたのある団子っ鼻。
厚ぼったい唇。
広く、突き出た額――。

よく見るト、唇の下に大きなほくろがあるところまで。
すべての僧侶が、一処たりとも変わるところがない。

石憲は、おそるおそる隣を歩く僧の方を見る。

僧が待っていたようにこちらを見ている。

やぶにらみの細い目。
あばたのある団子っ鼻。
厚ぼったい唇。
広く、突き出た額――。

ニッたりと笑った唇の下には。
もちろん、大きなほくろがございます。

アッと叫びそうになるのを懸命に堪え。
石憲は出来る限り、泰然自若と構えている。

池の中の僧たちも。
同じくニッと笑っているのだろうかト。
心の中でわなわなと震えながら――。

やがて日が傾き始めたのか、辺りがにわかに暗くなる。
案内の僧は、ますます得意気になって、眼前に顔を寄せてくる。




「お聞きなさい。我が同士たちが今から真言を唱えます」

するト、その言葉を合図にしたかのように。
いつの間にか、池の中央に整然と集まっていた、同じ顔の僧侶たちが。
顔だけを水面に出し、一斉に呪文のような言葉を唱え始めました。

その韻律はまるで、数万の鳴子が大風に遭ったかのようで。
キャラキャラキャラキャラと高く乾いた音が。
石憲の耳の中で不気味に鳴り響いた。

呆然と立ち尽くしている石憲の足元に。
ぬっと差し出された手が一本。

見るト、隣に立っている僧と同じ顔の僧がひとり。
石憲を招くようにして、手を握っていた。

「どうです。そんなところに立っていないで、一緒にひと泳ぎしませんか」

――やめろッ。

ト、声を上げる間もなく。
石憲は池の中に引きずり込まれていた。

その水の冷たさと言えば。
まるで凍った湖面の裂け目に突き落とされたよう。
突き刺すような冷たさに、思わず「あッ」と声を上げた時。
石憲はようやく、我に返りました。

己は相変わらず、路傍の大木の陰に横たわっていた。
すでに日は暮れきっている。

夢か――ト、ほっとしたのも束の間。
しかし、衣は嫌な汗でぐっしょり濡れていた。
体に悪寒が走るのは、夢見のせいか、暑気あたりか。

ともかく、石憲は起き上がって。
近くの民家に宿を借りる。
翌朝は早朝に出立し。
一刻も早く、この地を去ろうト考えた。

山中を急いでおりますト。
どこからか、聞き覚えのある乾いた音。
まさか――ト思って立ち止まるト。
それは遠くで蛙の群れが鳴く声だった。

怖いもの見たさとはこのことで。
石憲は声のする方へ向かって歩いていく。
すると、茂みの向こう、急に視界の開けたところに。
大きな池がございました。

その水面に浮かんでいたのは。
同じ背格好に、同じ姿形の数万の蛙。
真言と思っていたものは。
彼奴らの大吟唱でございました。

石憲は村へ戻って人手を駆り集めてくるト。
一匹一銭で蛙を捕らえさせ。
ひとところに集めて、火を放った。

最後の一匹が灰となるまで、石憲はその場を去ろうとしなかったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(唐代ノ伝奇小説「宣室志」巻一『石憲』ヨリ)

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