どこまでお話しましたか。
そうそう、火事に焼け出されて寺に避難したお七が、美童吉三郎を見初め、二人がついに契りを交わすところまでで――。
朝。
後朝(きぬぎぬ)の別れとは申しますが。
これは、床に重なり合った二人の衣が。
再び二つに分かれることを惜しんで言ったもので。
お七と吉三郎が別れを惜しんでおりますト。
姿をくらました娘を探しに来た母が。
二人のあられもない姿を見て激怒いたしまして。
乱暴にお七の腕を掴むと、吉三郎から引き離して、連れ去っていきました。
一家は間もなく、建て替えた家に引き上げていく。
それからというもの、母は一層、目を光らせて娘を監視します。
お七は吉三郎がどうしても忘れられない。
それは吉三郎とて同じことでございます。
二人は親の目を盗み、下女を通じまして。
恋文を交わし続けておりましたが。
ある日の夕暮れ時のことでございます。
その日は朝から大雪で。
板橋あたりの村の子らしい童子の物売りが。
お七の家で品物をひとつ買ってもらい。
トボトボと戸口を出ていこうとしておりましたが。
去り際にポツリとこう漏らしました。
「これから板橋まで帰るのか。寒いなァ」
それを聞いていた主人の八兵衛は、哀れに思いまして。
「そこの土間でも良ければ、泊まってお行きなさい」
ト、声を掛けた。
物売りの童子は喜びまして。
土間に腰蓑を敷いて横になりました。
とは言え、大雪の晩の土間ですから。
これでは風に枕するようなもの。
吐く息も白く、童子はブルブル震えている。
お七は可哀想になって、下女に白湯を持たせてやる。
ト、そこへ、慌ただしく戸を叩く音。
「八兵衛さん、産まれたよ」
一家はその声で一斉に目を覚まし。
待っていたとばかりに、家を飛び出していく。
八兵衛の姪、お七の従姉がお産をしたのでございます。
お七はひとりで、留守番を言いつかる。
一家が出払うと、むくむくと半身を起こしたのは、物売りの童子でございます。
「どうだい。白湯は飲んだかい。少しは温まったろう」
お七が問いかけると、童子はニコッと笑みを浮かべる。
その笑みにお七はハッと気づいて、呆然とする。
物売りの童子は他でもない、吉三郎でございました。
「どうして、こんな姿に身をやつして――」
お七はもはや下女の目もはばからずに、吉三郎に飛びついた。
下女も二人の心を察しまして、手燭を持ってお七の部屋へ先導する。
二人を部屋に残すト、手燭を持って部屋を去りましたが。
そこへ折り悪く帰ってきたのは、父の八兵衛で。
男はいても役に立たないからト、先に帰ってきたのだト申します。
父の寝間は襖一重隔てた、すぐ隣の部屋。
哀れ二人は、束の間の逢瀬を楽しむ間もなく。
ただ、互いの心の内を紙と筆とで伝え合うより他ございません。
そのうちに鶏の鳴く頃となり、吉三郎は逃げるように帰っていった。
「どうしたら、また会えるのかしら――」
絶好の機会を逃したお七は。
それ以来、物思いに沈むようになりまして。
来る日も来る日も、吉三郎と会う方法を考えてばかりおりました。
そして、ある夕暮れ時。
からっ風が激しくお七の顔を叩いのが悪かった。
娘の心にフッと魔が差す。
「どうして、これに気が付かなかったんだろう」
お七は喜々として、古綿をそっと部屋から持ち出しますト。
それを藁で包み、隣家との境の板間の前までやってきまして。
炭火とともに、その節穴にギュッと詰め込みました。
「おいッ。煙だッ、火事だぞッ」
隣の商家から手代や丁稚が駆けつけてくる。
騒ぎを聞いて、近所の人も通りすがりも、みな集まってくる。
煙に巻かれて。
八百屋の娘が。
いたいけな表情で立ち尽くしている。
「お七、その方は今年幾つになる」
火付盗賊改方の中山勘解由から事情を聞きまして。
老中、土井大炊頭は奉行にあることを命じておりました。
「お七、その方は今年、十四であろう」
ト、奉行がしつこく聞くのにはわけがある。
火付けは重罪でございますから。
これを犯した者は火あぶりの刑と定められております。
ところが、これには年齢の規定がございまして。
十五未満は、一等減じて遠島と定められている。
大炊頭は幼い娘の命を救わせようとしたのでございます。
しかし、お七にはその意図がまるで伝わらなかった。
――また焼け出されれば、吉三郎さんに会えたかも知れなかったのに。
お七の幼い心には。
素敵な思いつきを遂げられなかった。
その悔しさだけが満ちている。
「――いえ、十六でございます」
虚ろな目でそう答えた娘は。
神田、四谷、芝口、浅草、日本橋と。
数日間、晒し者にされた末に。
鈴ヶ森刑場において、定め通り火あぶりに処せられました。
人々はみな、お七を哀れに思いましたが。
相手の吉三郎がお七の最後を見にも来ないではないかト。
事情も知らず、口々に罵りあう。
その頃、吉三郎はト申しますト。
お七が処刑されたことはおろか。
火付けのことさえ露知りません。
吉三郎は吉三郎で。
あれからずっと物思いに沈んでおりまして。
今は病の床に伏せっている。
周囲も気遣って何も伝えませんでした。
そして四十九日の日。
お七の両親が、せめて娘の恋した男を見たいト申し出る。
が、事情を聞いた八兵衛夫婦は、娘の卒塔婆だけを立てて帰りました。
部屋の外がガヤガヤと騒がしい。
野次馬のような連中が、寺へ押し掛けてきたようでございます。
吉三郎は、何の気なく彼らの話を聞いておりましたが。
ふと、聞き捨てならぬ一言を耳にしまして。
がばっと床から起き上がりますト。
履物も吐かずに裏庭へ降り立ちまして。
狂ったように、卒塔婆を一本一本抜いて回る。
やがて、真新しい卒塔婆の前に立ち止まり。
つくづくと、そこに書かれた戒名を眺めておりました。
幼い恋心が、我が身を焦がす炎となって燃え上がったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(井原西鶴「好色五人女」『恋草からげし八百屋物語』及ビ、落語「八百屋お七」ヨリ)