どこまでお話しましたか。
そうそう、評判の茶店娘のお藤と元武士の芸人松五郎が、互いに秘めていた恋心を解き、ついに結ばれるところまでで――。
松五郎は、一方でお藤を腕に抱きつつも。
己が甲斐性のない芸人であることに。
一方で不安を抱き続けている。
そんな心を知ってか、知らずか。
お藤は無邪気に松五郎の肌に寄り添います。
ト――。
「おーい。お藤姉さん。いないんですかい」
ドンドンドンと、無造作に表の戸を叩く音がする。
「旦那がお出でですよ」
「旦那」との言葉に二人とも。
慌てて床から飛び上がりまして。
お藤は乱れ髪を慌てて整える。
松五郎はとりあえず、枕屏風の裏に隠れる。
「はい、いま行きますよ」
ガタガタと、わざとつっかえさせながら。
お藤がゆっくり戸を開ける。
「姉さん。その節はどうもお世話になりまして」
「姉さん、どうもどうも」
ト、旦那より先に入ってきたのは。
幇間(たいこ)の吾朝(ごちょう)と三八(さんぱち)の二人。
「どうした。寝てたのか」
旦那も後から続いて入る。
「ええ、おっ母さんとちびちびやっているうちに、いつの間にか寝ていたんでしょうねえ」
お藤は白を切りながら、旦那を座敷に通します。
酒を用意し、旦那に膳を運んでくる。
「何だか、しみったれた天気だなあ。おい、三八。お前、何か演れよ」
「何か演れって急に言われましてもねえ。姉さん、二階に三味線があったでげしょう」
お藤は急に慌てまして。
「駄目ですよ。二階は今、散らかってますから」
「そんなことは誰も気にゃしません。さっと行って取ってきますから」
ト、三八はお藤が必死で止めるのも聞かずに、はしごをトントントン――。
「どうした、狐につままれたような顔をしやがって」
やがて降りてきた三八は、お藤を見て訝しそうな表情で。
「イエ。誰か二階で寝ているんでげす」
余計なことを言う奴がある。
「いえね、おっ母さんの知り合いの芸人で、一緒に酒を飲んでましたっけが、私は先に帰ったと思ってましたけど、それじゃあ、まだ部屋にいたんですねえ」
お藤はしどろもどろに取り繕うより他にない。
「芸人だって。そいつは面白い。ちょうど退屈していたところだ。おーい、二階の兄さん。恥ずかしがってないで降りてきな」
大声で呼ばれて仕方なく、松五郎はおずおずと降りてくる。
旦那の清三郎は、いやに親切そうな笑みを浮かべて手招きをする。
「さあさあ、座りなさい。座りなさい。私はね、芸人が大好きでね。贔屓にしている者もたくさんいるが、もっとも芸人なら誰でも良いというわけじゃない。名の知れない芸人ほどいけ好かないものはない。そんな奴はたいてい芸は大したことないのに、てめえひとりが芸人ヅラをしてやがる――」
ト、くだくだしい挨拶を続けるうちに、その笑みが徐々に険しくなっていく。
「菅野松五郎さんと言ったな。時に、吾朝。お前、この兄さんを知ってるのか」
「いえ、知りません」
「三八、お前は知ってるのか」
「いえ、知りません」
二人とも、蛇に睨まれた蛙のように、縮み上がって答えます。
「さあ、菅野松五郎さんとやら。お近づきの印に、盃を受け取ってもらおう」
ト、目の前の盃を握ったかと思いますト。
清三郎は松五郎の顔をめがけて投げつけた。
盃は松五郎の頭に当たってパリンッと割れる。
青く剃り上げた月代から、真っ赤な血がたらーりと垂れた。
「お前さん。盃は手で受けるものだ。何も頭で受けることはねえ」
清三郎は、松五郎をぐっと睨みつけるト。
「行こう。つまらねえ芸人に水を差されて、白けちまった。ナカ(吉原)へでも行って飲み直そうじゃねえか」
幇間二人を連れて、憮然とした表情で去っていく。
「兄さん――」
お藤が駆けつけて、松五郎に寄り添いますが。
松五郎の目は恥辱に震えておりました。
騒ぎを聞きつけて、おっ母さんが目を覚ます。
娘から話を聞きますト、これも横柄な旦那に怒りを露わにいたしました。
――チョット、一息つきまして。