こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。
筑紫国のとある地に、貧しい女が暮らしておりました。
海近くに住んでおりましたので、いつも浜に出ておりました。
ある日、女は二歳の子を背負いまして。
隣の女とともに磯へ出て、貝を拾っておりましたが。
途中、しばし岩の上に子を下ろし。
上の子に守りをさせておりました。
しばらくして、ふと辺りを見渡すト。
山から降りてきた猿が、浜辺で佇んでいるのが見えた。
「ごらんよ。魚を獲ろうとしているんだろうね。見に行こうか」
そう言って女ふたりが近づいていきますト。
猿は怯えながらも、どうしたことか逃げずにいる。
辛そうな顔をして、逃げるに逃げられないといった体でございます。
何をしているのだろうかト、しばし見守っておりますト。
その謎がふたりにもようやく解けました。
溝貝という貝の大物が、口を開けていたところへ。
この猿がおそらくは取って食おうとしたのでございましょう。
手を突っ込んだはいいものの、口を閉じられて動けずにいるのでございます。
潮は次第に満ちつつある。
このまま満ちれば猿は溺れて死んでしまう。
そのうちに、よその女たちも集まってくる。
惨めな猿を見ては、皆で手を叩いて笑っている。
「ただで死なせちゃもったいない。活きのいいうちに捕まえてしまおうよ」
ト、ひとりが舌なめずりをしたかと思うト。
大きな石を持ち上げて、猿の頭の上に振り上げた。
「ちょ、ちょっと。何をするんです」
子を連れた女はたいそう慌てまして。
よその女を必死になって止めました。
「いいじゃないか。今のうちに殺して、焼いて食うんだよ。貝と肉とで一石二鳥じゃないか」
子を連れた女は、その考えに一層うすら寒い思いがいたしまして。
よその女に懇願して、猿を請い受けることになりました。
女は木の枝を拾って、貝の口に差し込んでやる。
無理矢理にこじ開けてやると、ようやく猿の手が抜けました。
猿は思わず駆け出していきましたが。
ふと立ち止まって女を振り返り、さも嬉しそうに飛び跳ねている。
「殺されそうなところを助けてやったんだ。畜生でも、よくよく考えないといけないよ」
猿は合点顔をして、頷くような素振りを見せる。
女もそれを見て、何やら嬉しくなりまして。
「畜生の身でも、情けは通じるものと見えるねえ」
優しく声をかけると、猿は頭を下げながら山へ向かって去っていきましたが。
何を思ったか、途中で方向をくるっと変えまして。
こともあろうに、女の子供のいる岩の方へ駆け寄っていった。
「こ、こらッ。何をするんだよ」
女が慌てて止めようとするのを聞きもせず。
猿は女の子供をサッと抱き上げますト。
泥棒猫が魚をくわえて逃げるかのように。
それッと、山へ向かって駆け出していきました。
守りをしていた上の子が、恐怖に染まって泣き声を上げる。
女は真っ青になって駆け出し、後を追いましたが。
慌てたあまり、砂に足を取られ。
もつれて倒れ込んでいるその間に。
猿はみるみる遠くへ去っていく。
女は砂を噛んで、また立ち上がった。
――チョット、一息つきまして。