どこまでお話しましたか。
そうそう、女に命を救われた猿が、こともあろうに女の子供を攫って山へ逃げていくところまでで――。
「そら見たことか。畜生は所詮畜生なんだよ。顔に毛の有るやつが人の恩など知るものか。あのまま殺させておけば、あの子は貝と肉がいっぺんに手に入り、あんたは子供を取られずに済んだものを」
ト、今さら憎まれ口を叩いたところで仕方がない。
隣の女は、子を盗られた女の手を引きまして。
二人して猿の後を追いかけていく。
ところが、妙なことには、かの猿でございます。
まるで捕まえてくれと言わんばかりに。
ふたりが走れば走り、歩けば歩く。
あまり距離が開きすぎないようにというつもりか。
適度に間隔を保っているようにも見えました。
「なんて情けを知らない畜生だろう」
翻弄された女はついに力尽きて。
走るのをやめて猿に呼びかけた。
「別に恩を着せようというわけじゃない。だが、消え入る命を救ってやったのは私じゃないか。私の可愛い子供なんだよ。取って食うのだけは勘弁しておくれよ」
女ははらはらと涙を流しましたが。
非情の猿には通じません。
猿は山奥深く分け入っていく。
大木を見つけるト、子を抱いたままスルスルと登っていきました。
「本当に酷いことをするやつだ」
女は、大木の根元で力なく見上げているばかり。
「あんたの亭主を呼んでくる。それまで気を確かに待ってなよ」
隣の女がそう言い残すや、一目散に山を駆け下りていきました。
猿は梢の大きな股に、子を抱いて腰掛けている。
一体何をしようというのでございましょう。
大きな木の枝を引っ張ってしならせつつ。
一方で抱いた子供を盛んに揺らして大泣きさせる。
泣き止むとまた揺すって、無理にでも泣かせようとしております。
するト、一羽の大鷲がその泣き声を聞きつけまして。
女の愛児をめがけて、一直線に襲い掛かってきた。
女は気を失いかけて、目をつぶる。
ト、その時、猿がしならせていた枝を突然放した。
バシンっとものすごい音を建て、急降下してきた鷲の額に命中する。
大鷲があっという間に地に落ちていった。
女が呆気にとられておりますト。
猿はまた懸命に枝に手を伸ばし。
先程と同様に大きくしならせつつ。
抱いた子供を揺すって大泣きさせようとする。
そこへ、また別の鷲がおびき寄せられてまいりました。
女はここに至って、ようやく猿の考えに気づきます。
猿が我が子をさらったのは、恩返しに鷲を撃ち落としてくれるためだったのだ。
「わかったよ。お前の気持ちはしっかと受け取った。もういいから、私の子供を返しておくれ」
女は木の下から猿に向かって泣く泣く訴える。
猿はまだまだとばかりに、次から次へと鷲を撃ち殺す。
そうこうしているうちに、ついに五羽も仕留めました。
これでようやく納得したのでございましょうか。
猿は子を抱えて木をスルスルと降りてまいりますト。
女の足元に子をそっと座らせまして。
再び木をスルスルと登っていきました。
そこへ、隣の女に連れられてやってくる女の亭主。
「畜生め。俺の子供に何をしやがるッ」
「あ、あんた。違うんだよッ」
亭主は駆け込んできた勢いそのままに。
手に握りしめていた石を力の限りに投げつける。
鷲が子に襲いかかったときのように。
硬い石が猿の額めがけて飛んでいった。
五羽の鷲の死骸の上に、力なく覆いかぶさるようにして。
どさっと落ちてきたものは、猿の死骸でございました。
人畜の情けは決して相通じることがないという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「今昔物語集」巻二十九第三十五『鎮西猿打殺鷲爲報恩与女語』ヨリ)