どこまでお話しましたか。
そうそう、身の丈三尺の翁が人の顔を撫で、冷泉院の跡地に残った池の中に飛び込んで消えたところまでで――。
ここにひとりの力自慢の男がございまして。
「なんぴとと言えども、顔は己の誇り。その顔を撫でて逃げるとはけしからん奴。そんな者はこの俺が捕らえてくれる」
ト、何とも頼りになる。
顔を撫でられた男が寝ていた縁台に。
麻縄を持ってひとり、翁の出現を待つ。
ところが、力自慢の男に怯んだのか。
待てど暮らせど翁は現れません。
「なんとも。卑怯な奴よ」
ト、男は己の威光の池底までに響き渡ったのを。
こそばゆく感じながらも、ピンと背筋を伸ばして待ち続ける。
しかし、いつまで経っても敵は現れません。
やがて、伸ばした背中が徐々に丸くなっていく。
夜半を過ぎ、意気込んだ分だけ疲れてしまい。
男はつい、うとうとトしかけました。
ト、その時――。
顔をにゅっと撫でた、冷たい手触り。
男は思わずビクッとして起き上がる。
「これッ」
ト、一喝。
翁が怯んだその隙に。
後ろから首根っこをひっ捕まえて。
地に組み伏せ、縄で縛り上げた。
その小さな身体をぐるぐる巻きにしてやりまして。
見せしめのように欄干に結びつけてやりました。
やがて、人々が噂を聞いて集まってくる。
火を灯し、まじまじト見つめてみますト。
確かに身の丈三尺ばかりのしょぼくれた翁が。
浅葱の上下(かみしも)を身に着けて。
息も絶え絶えに憔悴している。
ただこちらを見上げて、目をパチクリさせ。
人々が呼びかけても、まるで返事をいたしません。
しばらく経つと、何か気まずそうに笑みを浮かべ。
そこかしこを見回した後に、消え入りそうな声で一言。
「盥に水を入れてくだされ」
ト、申し訳なさそうに懇願する。
「仕方ない。入れてやれ」
人々も何だか哀れ――ト言うより。
何だか馬鹿馬鹿しくなりまして。
大きな盥に水をなみなみと張り。
翁の前に持ってきてやりますト。
翁は首を懸命に伸ばして。
盥の中の水を覗き込み。
急に威儀を正したかト思うト。
「我は水の精なるぞ」
ト、威張るようにのたまわって。
水の中へドボンッ――。
そのまま姿を消してしまいました。
盥の水は跳ねてこぼれる。
縄はぐるぐる結ばれたまま水に浮いている。
翁は水になって解けてしまったようでございます。
人々はますます不気味に思って、これを怖れる。
盥の水は、下手にそこらへこぼさないように。
慎重に運んで、池に捨ててきたト申します。
その後は、かの奇妙な翁が現れることも。
寝ているうちに顔を撫でられることもなくなったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(「今昔物語集」巻二十七第五『冷泉院水精人の形と成りて捕へらるる語』ヨリ)