どこまでお話しましたか。
そうそう、ある町の餅屋に赤児を抱いた女が日暮れごとに現れるところまでで――。
餅屋の主人はますます女を怪しみまして。
狐狸妖怪のたぐいではなかろうかト。
今晩こそはきっと尻尾を掴んでやるト。
勇気を奮って女を待ち構えておりますト。
「あの――」
ト、今日も今日とて呼びかけてくる。
陰にこもった女の声。
「――はい」
「この子に餅を一枚」
「――はいよ」
主人は女に餅を渡す。
女は主人に金を渡す。
どうこねくり回しても。
立派な銅銭でございます。
そうこうしているうちに。
女が静かに去っていく。
赤児はじっと眠ったまま。
主人は慌てて後を追う。
人通りの少ない夜の街を通り抜け。
女は徐々に町外れへと歩いていく。
行くほどに辺りは静まり返っていきました。
やがて女は森を抜け。
鄙びた村へと入っていく。
ゾッとするような闇の中。
不意に姿が消えました。
「しまった。逃げられた」
こうなったら主人も意地でございます。
何もお代を騙されたのが口惜しいのではない。
いつまでも妖怪の正体を暴けずにいるのが口惜しいので。
そこで翌日は気もそぞろに。
糸と針を用意して女を待つ。
日が暮れて女がやってまいりますト。
いつになく和やかに話をして、女を引き止めた。
「あんたは毎日餅を買いに来るが、乳は飲ませていないのかい」
「それが、乳の出が悪くて困っているのです」
「それじゃあ、特別にもう一枚つけてあげるから、一枚はあんたが食べたらどうだい」
主人が白い衣の袖の端に。
赤い糸を縫い付けていることに。
女は全く気づいていない。
女はありがたく二枚の餅を受け取るト。
いつものようにしずしずト。
店を後にしていきました。
主人は糸をたぐりながら跡をつける。
やがて昨晩見失った森へ入る。
ふと姿が消えましたが、もう慌てません。
糸を辿ってドンドン行くト。
いつしか、古い廟の前へやって来ました。
「この中に棲みついているのかな」
ト、思ってさらに辿るとそうではない。
糸は廟の裏手につながっている。
そこは一面草むらで。
よく見るト、チラホラと塚がいくつか見える。
生ぬるい風が頬を撫でる。
さらさらト草が揺れている。
その隙間を縫うようにして。
何やら甲高い声が聞こえてくる。
風の他にはその声だけが。
闇の向こうから聞こえてくる。
オギャアオギャア――。
オギャアオギャア――。
餅屋の主人はハッとしまして。
その声の源を尋ねていきますト。
新しく盛られたばかりの小さな塚の。
中から赤子の泣き声がする。
「おおい、誰か来てくれッ」
その叫び声に村人たちが駆けつけまして。
慌てて塚を掘り返しますト。
今にも起き上がりそうな女の亡骸の。
その股ぐらの辺りが赤黒い血に染まっている。
村の女が衣の裾をまくってみるト。
そこに血塗れの赤ん坊が、元気な産声を上げていたという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(宋代ノ志怪小説「夷堅志」丁巻之二第十八『宣城死婦』ヨリ。「子育て幽霊」「飴買い幽霊」ナドト呼バルル日本民話ノ原話ナリト云フ)