どこまでお話しましたか。
そうそう、お気に入りの下女の首が夜ごと飛ぶことを朱桓の奥方が暴露してたしなめるところまでで――。
「まだ信じないのですか。よろしい。それならば今宵、あの女と同衾してみればよいでしょう。ご自身の目で直接確かめられたらよい」
奥方は不服そうな夫を突き放すようにそう言い放ちますト。
コツコツと沓の音を響かせて部屋を出ていってしまいました。
こうなるト、朱桓も意地でございます。
仮にも勇名馳せた将でございます。
さあらずとも、この家の主に違いない。
ここまで嘲弄されて黙っておられようか。
武人としても家長としても、名折れというものでございます。
朱桓はその晩心を決めて、下女の部屋へと忍んでいった――。
「ハハハ。あれも女に違いない。お前の若さと愛らしさに、やはり嫉妬しておったのだ」
下女は訳が分からぬまま、主の腕に抱かれておりましたが。
「あの――、服を着てもようございますか」
そっと申し出る声も、体も震えている。
「ああ、よいぞ。ただし、その前に一度首を見せてくれ」
下女はますます何のことだか分かりませんが。
ともかくも主の仰せでございますから。
後ろ髪をたくし上げ、顎を上げてよく見せました。
朱桓は下女の両肩に手を置いて。
「ウム。継ぎ目一つない美しい首じゃ」
ト、右から左から、じっくりと舐めるように首を見た。
そうしてすっかり確かめますト。
満足したように、改めて下女を抱き寄せ床に入った。
安心して気が緩んだからか、まもなく夢うつつトなる。
やがて聞こえてくる小さな寝息――。
どれだけ時が経ったのやら。
ハッと目を覚ました朱桓の腕の中に。
女の小さな体がございません。
「オヤ――」
闇の中。
朱桓は床の中を手探りする。
ト、すぐに手が女の肩に触れました。
ホッとしてまた眠ろうトする。
「待て」
ふと思い出して、朱桓は起き上がった。
再び、女の肩に手をやってみる。
そこから首の方へ徐々に這わせていきますト――。
「ない。首が、ないッ――」
猛将は己の血の気がさあっと引いていくのを感じながら。
狂ったように、手探りで首を探し始めた。
「どこだ。首は、どこだ――」
その時、突然、ぼおっと灯籠に火がついた。
浮かび上がった女の顔。
「だから、申したではありませんか」
ト、勝ち誇ったように言ったのは。
他でもない、下女と寝てみろとけしかけた奥方で。
灯籠は徐々に下へ降りて、床の中の下女の寝姿を照らし出した。
確かにそこには女の体が横たわっている。
だが、その体には首がまるっきりございません。
「触ってごらんなさい」
さすがの朱桓も躊躇した。
「さあ、触ってごらんなさい。何をためらうことがあるのです。先程のように、優しく撫でておやりなさい」
灯籠の火の向こうに妻の両目が光っている。
朱桓はおそるおそる、下女の体に手を伸ばした。
その胸からは、トク、トクと小さな鼓動が伝わってくる。
心なしか、先程より体が冷たくなっているように思う。
「ほら、帰ってまいりましたよ」
奥方の声に、顔をあげますト。
窓の辺りでコツコツと何やら音がする。
じっと見つめているト、やがて。
窓がきいっと音を立てて開いた。
小さな頭が月明かりを後ろから浴びて。
取っ手を口で咥え、窓を懸命に引き開けている。
開け放つと、首は宙を飛んで中へ入ってきた。
なるほど、耳を翼のように羽ばたかせて。
漂うように部屋の中をゆっくりと旋回する。
夜目に慣れた朱桓にも、首が寝顔のまま宙を舞っているのが見えた。
「己の体を探しているのです」
言われて、また下女の体へ目を戻すト。
そこに胴は依然として横たわっておりましたが。
首がゆっくりト下降し始めたのを見て。
奥方が、ぱっと胴体に夜着をかぶせた。
「お、お前。これでは――」
「黙ってらっしゃい」
慌てて夜着をのけようとする夫の手を。
奥方がぴしゃりト叩いて制しました。
首はゆっくりと下降しながらも。
戸惑うようにただただ旋回を続けている。
下女の優しい寝顔は。
次第にうなされたようになり。
額に脂汗を滲ませるようになりまして。
優美に宙を舞っていた首は。
スッと落下しそうになるのを。
何度も持ちこたえておりましたが。
次第に息遣いが荒くなり。
ついにドタッと地に落ちた。
「お、お前。これでは――、あれが死んでしまうぞ」
「いいのです」
奥方はきっぱりとそう言いきりまして。
夫を片手で阻みました。
首は断末魔の苦しみに悶えだし。
最期はブルブルっと左右に二、三、震えますト。
両目をカッと見開いたまま。
ついに動かなくなってしまいました。
恐ろしきは女の首よりも、嫉妬した女の心であったという。
そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。
(六朝期ノ志怪小説「捜神記」巻十二ヨリ)