::お知らせ:: 最新怪異譚 焼き場の妖異が我をたばかる を追加しました

 

修羅道 佐倉惣五郎

この怪異譚をシェア

こんな話がございます。

余り知られていないことでございますが。
戦国の世においては、百姓は存外丁重に扱われておりました。

ト申しますのも、百姓がいなければ兵糧が集まらない。
軍勢も大半はその実が領内の百姓でございます。
扱いを間違えると、他国の領主のもとへ奔ってしまう。
するト、敵の軍勢の一部となってこちらへ刃を向けてきかねません。

そのため、たとえ百石穫れる土地柄でありましても。
百姓が七十石しか穫れなかったト申せば、受け入れるよりほかにない。
江戸ご開府以降も、その慣習が各地に残っておりました。

さて、時は四代家綱公の御世。
その頃、下総国印旛郡佐倉の領主は、堀田上野介正信ト申しまして。
その父は、三代家光公薨去に際して殉死したという、忠臣堀田正盛。
幕府老中も務めた譜代大名でございます。

佐倉領はこの正盛の頃から、年貢の取り立てが厳重になりました。
どんぶり勘定を改め、領内の田畑を細かく検地する。
これまで黙認されていた新田などからも、どんどん取り立てる。

百姓は驚いて上を下への大騒ぎ。
村内で評議をし、大慌てで願書をしたためナドいたします。
ト、そこへ、入ってきたのが正盛殉死の一報で。

「助かった。今度のお殿様は年貢を元の通りに戻してくださるそうだ」
「なんでも御先代への追善供養のためだそうだ」

そんな噂が瞬く間に領内に広がりましたが。
噂はあくまで噂でございます。

当の正信は父にもまして気性勇猛でございまして。
自分が善と信じたことは、どこまでも頑なに断行する気質でございます。
父の検地竿入を継いだばかりか、以前にもまして厳しく取り立てようとした。

百姓たちも無い袖は振れません。

通常、年貢を未納の者は、まず郡奉行に引っ立てられていきます。
そこでいろいろ説教された上で、次に村役人お預けとなりまして。
いつ幾日までに納めろと猶予を与えられます。

それでも納めないとなると、いよいよ入牢と相成ります。
そこで待っているのは木馬責めト申す拷問で。
いわゆる三角木馬ですナ。

ところが、佐倉の年貢取り立てはあまりにひどい。
四公六民どころではございません。
木馬責めにあう者が跡を絶たない。
領主堀田正信も困り果て、家臣を集めて評議しまして。

「領分一同へ。一村において年貢上納致さざる者これ有る時は、村内一同にて上納致すべし。もしそのまま上納致さざるに於いては、きっと咎め申し付ける」

ト、村全体での連帯責任を言い渡した。

村人ひとりが年貢を納めなければ、村中で出し合って納めなければなりません。
もし、これを納めなければ、一人のために全員が牢に入らなければならなくなる。
と言って、この苛斂誅求に耐えうる者などおりません。

するト、この話を聞いて立ち上がりましたのが。
領内は公津村の名主を務めます木内惣五郎ト申す義侠の人で。

自分の村で年貢を納められない者がおりますト。
みずからが代わって納めて助けてやる。
次第に自身の財ではまかないきれなくなりますト。
田畑を売ってまで、村民を守ってやろうと致します。

そんな惣五郎の義侠が他村に伝わりますト。
百姓たちの怒りに火が着きまして。
その火の粉がやがて各村の名主に飛び火した。

「公津村の惣五郎様は偉えでねえか。それに比べてうちの名主はどうだ。お殿様の言いなりになっているばかりでだらしがねえ」

そこで、佐倉領内の名主たちは連れ立って公津村を訪れる。
惣五郎とその他名主たちが相談いたしまして、

「年貢未納は今まで通り、当事者ひとりを罰すること」
「向こう三年間、検地竿入を猶予すること」

以上二点を、領主堀田家に願い入れることになった。




ところが、領主の方でもそう簡単には聞き入れません。
熟考の末、惣五郎は江戸に出府いたしました。

承応二年十二月二十日。
将軍徳川家綱公が、上野寛永寺へ参詣する。
そこへ現れたのが惣五郎でございます。

「お願い致します。実はかくかくしかじか――」

ト、民に成り代わって天下の大将軍に直訴した。

命がけの訴えが功を奏しましたものか。
惣五郎の願いが聞き入れられまして。
年貢未納当事者のみを罰し、検地竿入を三年猶予せよと。
堀田家に対し、沙汰が下りました。

面白くないのは、領主の堀田上野介で。
領主を蔑ろにした所為であると激怒する。
惣五郎は引っ立てられて牢に入れられる。
のみならず、妻のおさんに倅の惣平、喜六、三之助をも投獄した。

これに取り入ったのが、郡奉行の高田源太夫でございます。

「卑しき身ながら上様へ御直訴した惣五郎は大罪人。領内引き回しの上、磔(はりつけ)とし、妻子は死罪とすべきと存じます」
「よしよし。よきにはからえ」

承応三年二月三日。

高田源太夫が指揮を執りまして。
惣五郎を裸馬に乗せ、二百二十九ヶ村を引き回す。
村人たちは惣五郎を慕い、ゾロゾロと行列について回ります。
茨台の刑場にやって来た時には、もう日が暮れていた。

刑場の真ん中には、栂の木で作った磔台。
むしろを敷いた上には、おさんと十一、九つの倅ふたり。
やっと二つの赤ん坊は、母の腕に抱かれている。

磔台の惣五郎は、ただじっと黙って哀れな妻子をみつめている。
妻のおさんは乳呑み子をしっかと抱いて目を閉じている。
二人の倅は立派なもので、口を真一文字に食いしばって涙をこらえておりました。

ト、そこへ――。

「待たれよ、待たれよッ」

狂気の滲んだ僧形がひとつ。
人垣をかき分け、矢来の前までやって来た。

「仏頂寺の僧、光善にござる。惣五郎の叔父でござる」

押し寄せた百姓たちがどよめいた。

「何卒、子供たちの命ばかりはお助けくだされ。出家遁世させ、愚僧の手元にて教導いたしましょう」
「黙れ。気狂い坊主め」

光善はあえなく、役人たちに取り押さえられてしまった。

「惣五郎に、おさん。決して成仏するでない。悪鬼となれ。むしろ修羅道に迷うが良い。生き変り死に変り、末代まで堀田家に祟るが良い」

ト、その時、東の空に三日月が上がりました。

「見ろ。お月さまが名主様の冥途の道を照らさっしゃる。南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛――」

――チョット、一息つきまして。