こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。
当時、平貞盛と申すつわ者がございました。
これは後に権勢を極めることになる桓武平氏の三代目。
従兄弟である平将門の乱を鎮圧したことでも知られる猛将でございます。
さて、この貞盛が丹波守に任じられ、任地におりました時のこと。
何の因果か、体に悪い瘡が出来ました。
さっそく、都でも指折りの名医を呼び寄せて診させましたところ。
「これはお命を落としかねない重病にございます。児肝と申しまして、生きた胎児の肝を使わなければ、治ることはございません。一刻を争いますので、早く求めて薬となさいませ。ただし、決して人に知られてはなりませんぞ」
ト、申して屋敷を去りました。
これにはさすがの猛将も血の気が引いた。
それこそ、生き肝を抜かれたような心持ちになりまして。
大慌てで呼び出したのは、我が子である左衛門尉、平維衡(これひら)。
これは後に清盛らを輩出する伊勢平氏の祖でございますが。
「大変なことになったぞ」
「いかがなさいました」
「生きた胎児の肝を手に入れなければ、命が危ないと医者が申す。しかも、手に入れるのに人に知られてはならぬのだ」
「なんと」
ト、維衡が青ざめましたのには、二つの意味がございましたが。
それを父は目ざとく見抜きましたか、さてまた無思慮に申したものか。
「待て。そう言えば、お前の妻が身籠っていたな」
ト、たちまち顔色が晴れていきます。
その笑みのまた不気味なこと。
一方の維衡は言葉を失ってしまいましたが。
武家の父子は主従も同然でございます。
まさか断るわけにもいかず、かと言って応じるのも忍び難く。
しばらくはただ黙っておりましたが。
「分かりました。ではお使いください」
長い葛藤の末に、絞りだすようにそう答えました。
「よかった、よかった。これで命は助かった。そうだ、お前は弔いの支度があるだろう。もう下がって良いぞ」
ト、冷酷な父があったもので。
維衡は父の前を辞しますと、大慌てで件の医師のもとへ駆けつけました。
「児肝とか申す怪しい薬を丹波守に勧めたのはその方か」
ト、怨みを込めて睨みつけたかと思うと、途端にハラハラと涙を流しながら、訴えた。
事の次第を維衡から聞かされますと、医師の方でも驚きました。
思わずもらい泣きをしながら、答えますことには。
「なんと。まさか自分の孫の命を奪おうとは。あなたの前ですが、それほどまでに浅ましいお方とは存じませんでした。これもすべて私の一言が招いたこと。ここは一つ、私にお任せください」
そう維衡を安心させて、再び貞盛の館へ向かいました。
「その後、お薬は手に入りましたかな」
「実はそれがまだでして。しかし、ご安心くだされ。ちょうどよいことに今、息子の妻が身籠っております。先程、それをもらうことに手はずが整いました」
医師はそれを聞いて慌てた素振りをする。
「お待ちなされ。それはなりませぬ。みずからの胤に繋がるものは薬にならない。むしろ毒です」
「なんと。それは困りましたな。では、どうすればよいのです」
「身内以外から探すより他にございますまい。それと、男児でなければなりませぬぞ」
「――男か女か、産まれてみなければ知る由もございませんな」
ト、貞盛は肩を落としました。
これで少なくとも維衡の子から生き肝を求めることもなかろう。
ト、医師はホッと胸をなでおろして帰途につきましたが。
一方で、その噂を耳にして青ざめた者が別にある。
――チョット、一息つきまして。
コメント
卑賤の者には祟る力もない。それを考えれば、江戸の怪談で市井でも祟りや怨みが大繁盛する話し運びの方が、まだ溜飲が下がる思いがいたしますな。
が、それもこれも今様の型に嵌った話し運びに、頭の芯まで毒されていることなのかもしれません。
悪業に必ずしも報いがあるわけでない後味の悪さ。まさに余苦在話でございます。
原文では一応、貞盛の所業を批判して終えていますが、いかにも辻褄合わせという感じがします。