こんな話がございます。
よく犬猿の仲などと申しますが。
同じ畜生同士だろう。
少しは仲良くしたらどうだ。
ト、人間の私からしたら、そう言いたくもなりますナ。
昔、天竺に毘瑠璃王ト申す王がおりましたが。
とある因縁から、釈迦族に激しい恨みを抱きまして。
お釈迦様の制止を振り切り、一族を皆殺しにしてしまいました。
時に、憎悪というものは、周囲の理解を超えることがございます。
都が奈良にあった頃のこと。
興福寺の僧に、永興禅師ト申す高僧がございました。
当時は紀伊国の熊野に住まい、修行をしておりました。
その頃、近在の村に病の者が一人おりまして。
親族が両手をこすり合わせながら、禅師の住む庵に連れてまいりました。
禅師は快くこれを引き受けまして、祈祷をする。
咒文を唱えますト、たちまちに病は癒えていきました。
病人も親族も、地に額をこすりつけて、感謝する。
そうして立ち去ったかト思うト、いくらも経たぬうちにまた戻ってきた。
禅師はその様子を見て、訝しく思いました。
直してやったはずの病人が、先ほど来た時と同じように苦しんでいる。
「禅師様ならもしやと思い、ここまで訪ねてまいりましたが――」
ト、病人も親族も気まずそうな顔をしております。
聞けばこの病人は、久しい以前からずっとこんなことが続いているト申します。
すなわち、咒すれば癒え、退けばたちまち病を発するのだト。
禅師は是非にと二人から頭を下げられまして。
もう一度、祈祷をやり直してやりましたが。
やがて、病人がむくむくと頭をもたげまして。
狂気に憑かれたような眼差しで、禅師を睨みつけました。
「無駄じゃ、無駄じゃ。咒文なぞ何の役に立とうぞ」
病人が、まるで人が変わったように、凶悪な声音で申します。
「我は狐じゃ。御坊は知る由もなかろうが、我が怨みはきっと晴らさずにはおかれぬ。いくら咒文を唱えようと、我が怨みの訳を知らぬ限りは無用じゃぞ」
精気を失った病人の顔から、毒づくような狐の声。
「どうして、その者に取り憑いておる」
禅師は落ち着いて訳を問う。
「御坊に話したところで、納得はされまい。ともかく、我はこの男に殺されたうえ、死んで狐の身に堕ちたのじゃ。赦すまじ、赦すまじ。きっとその怨みを晴らすまでは、この男を決して赦すまじ」
そう語る間にも、病人の眼光は力を失っていきまして。
狐と自称するその声は、かえって勢いを得てまくし立てる。
禅師は事情を察して、狐に哀れみを感じつつも。
死せし者が生者に害をなすのは、己のためにもならぬのだト。
努めて狐を教化しようといたしますが。
狐の怨念はよほど強いものであるらしく。
それから数日の間、男の体から離れません。
その間も禅師の必死の祈祷は続きましたが。
ついに幾日目かが過ぎた時、男は取り殺されてしまいました。
――チョット、一息つきまして。