こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。
ある冬の初めのこと。
山に三人の木樵が入っていきました。
白髪の年長者、古之尉(ふるのじょう)。
壮年の年中者、寅麻呂(とらまろ)。
そして今日が初めての山入りとなる、和賀彦(わかひこ)の三人でございます。
木樵にとって、山へ初めて入ることとは。
大人として周りから認められることでもございます。
山には山の掟がございますから。
大人になった以上、それを守らなければなりません。
この日のために、和賀彦は。
七日七晩の精進潔斎をして臨みました。
心身ともに清浄でなければ。
山の神の怒りを買い、妖魔に襲われるト。
古之尉から教えられたからでございます。
和賀彦は生来、生真面目で臆病者でございますので。
とにかく、この七日間が気が気でございませんでした。
体の垢ならいかようにも洗い落とせますが。
心の垢は落ちたかどうだか、己では測りようがございません。
まだ幼さの残る和賀彦の脳裏に。
あれやこれや、つまらぬ想念が去来する。
特に、山の神が若い女だト聞いて以来。
消そうとしても、次から次へと浮かび上がる妄念がある。
――己のせいで、三人とも妖魔に取って食われてしまうのではないか。
若い盛りですから、そう恐れたのも無理はない。
それをも見越しての戒めであったことに。
彼らが気づくのは年を取ってからのことでございます。
ところが、純朴な和賀彦はそんなことは露知りませんから。
いよいよ山へ入ってからも、妄念を打ち消すのに精一杯で。
その間、年の功ある大人二人が。
ぐるぐるト同じ道を歩き続けていたことなど。
和賀彦は知りもしませんでした。
二人にとっては、いつも通い慣れた道のはずでございますが。
何故か今日に限って、迷ってしまった。
それもただの迷い方ではございません。
古之尉はまだ、泰然としておりますが。
血の気の多い寅麻呂が、すっかり青ざめてしまっている。
その様子を見て、ようやく和賀彦も。
目の前で起きている事に気がついた。
「くそッ。まただ。さっきも、この崖から麓の里を見下ろしたばかりじゃないか」
寅麻呂は冷や汗をかきながら、せめても強がるように語気を強める。
道に迷った木樵たちは、今日は帰ろうト麓へ降りていきましたが。
降りても降りても、同じ崖の上にどうしても戻ってきてしまう。
救いを求めるような寅麻呂の独り言を聞いて、和賀彦はどっと胸が高鳴った。
そのうちに日が暮れてくる。
その晩は野宿をして、何とか寒さをしのぎ合う。
ト、それが幾日も続きました。
食い物はそれなりに用意がございましたが。
それもそのうちに食べ尽くしてしまった。
冬の枯山のこととて、木の芽一つ出ておりません。
「このままじゃ、三人とも飢え死んでしまう」
寅麻呂がイライラした口調で言いますが。
歯の根が合わずにカチカチと音を立てているのが聞こえます。
寒さのためかどうかは知りません。
和賀彦にはむしろ、古之尉が押し黙っていることのほうが、心細く感じられました。
それはいつもの泰然自若とした姿ではない。
万策尽き果てて、もう何も言うことがなくなってしまっているように見えました。
――やっぱりそうだ。俺のせいで、山の神の怒りを買ってしまったのだ。
和賀彦は二人の大人たちに、すべてを打ち明けたい気持ちにもなりましたが。
何をどう打ち明けてよいのかも分からない。
しばらく、二人とともに沢辺の岩の上に腰掛けておりましたが。
その時、空腹のあまり力なくうなだれていた三人が。
一斉に頭を上げました。
山上から人の気配らしきものが降りてくる。
一人の気配ではございません。
カサカサと枯れ枝を踏んでくるのでもございません。
三人の――。
女が――。
陽気に歌い踊りながら――。
賑やかに山を降りてくる――。
――助かった。
そう考えた者はひとりもいない。
古之尉も、寅麻呂も、そして和賀彦も。
三人がみな同じことを考えておりました。
――これぞ山の妖鬼ではないのか。
苦い顔をした年長の尼。
狂気に駆られたような年増の尼。
怯えた表情がいかにも可憐な年若の尼。
笑顔のまるでない尼たちが一様に。
ゲラゲラと笑い声を上げて、歌いながら。
取り憑かれたように踊っている。
和賀彦は、笑わずに笑う人間を。
初めて目にして恐怖した。
――チョット、一息つきまして。
コメント
おはようございます
今朝は暗いうちから天井裏で獣だか物の怪だかむやみに騒いで眠られませんでした
わたくし生まれは砂村でございます。今はこうして信州の山里にひっそりと身を隠し世を憂う日々、都の便りをネットサーフィンにて懐かしく思う身の上でございます。
茸の季節、お話のように踊り狂うものの影を山でしばしば見かけるものでございます。あれは人かそれともシカに化けた山の怪しか、都会のほうではハロウウインなどと踊り狂っているのをうわさでは聞きました。
相互リンクなどできましたらよかったのですが、また立ち寄らせていただきます
初めまして。
コメントありがとうございます。
砂村のお生まれですか。
ここは川もあり、遊歩道もあり、本当に良いところですね。
六年前に越してきましたが、ずっと住みたいと感じさせる街です。
是非またお立ち寄りください。