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文弥殺し 宇都谷峠

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どこまでお話しましたか。
そうそう、金の工面がつかずに弱り果てていた十兵衛が、宇津ノ谷峠で按摩の文弥を殺したところまでで――。

十兵衛が江戸へ戻りますト。
妻のおしずが病と言って伏せっております。
十兵衛の弟の彦三(ひこぞう)が、見舞いに訪れておりました。

「あなた、私はもう助かりません。胸が疼いて息が詰まりそうです。日はまだ暮れませんか。夜になると――」

おしずは弱音を吐いている。
十兵衛は薬を飲ませようとしますが、おしずが受け付けようといたしません。

「彦三。お前悪いが、しばらくの間うちに泊まって、おかみの世話をしてくれないか」
「それが兄さん、今日は暇乞いに来たんです」
「暇乞いだと。どこへ行くつもりだ」
「実は今まで黙っておりましたが、私には馴染みの遊女がございます。名を古今(こきん)と申します」
「まさか、心中ではあるまいな」

彦三は苦笑いを浮かべまして。

「いや、そうではありません。その女に弟がありまして、近頃消息が途切れました。是非とも代わりに訪ねて行ってほしいと、頼まれているのでございます」
「ほう。で、その弟はどこにいる」
「なんでも近頃、京へ上ったのですが、それきり音沙汰が無いそうで」

十兵衛はふと気になって、振り返る。

「その弟の名は」
「文弥とか申すそうでございます」

途端に十兵衛の胸がどっと高鳴りました。

「弟は盲でして。目を潰したのは自分だと、女は長年、苦にしてきたのだそうでございます。昔、幼い弟を背負ってあやしていたところ、誤って踏み石に落としてしまったそうでして。最近になってみずから吉原へ身を売り、弟に座頭の官位を取らせようとしたのでございます。その弟が京へ上ったきり、行方が知れないと言うのです」

妻に薬をやろうと匙を握っていた手が震えだした。

「座頭の話はよしておくれッ」

突然、おしずが彦三の話を遮るように声を上げました。

「どうした、突然」
「毎日、夜になると――。枕元に血だらけの按摩が現れるのです。それ以来、こんなに煩いついて――」

ト、言い終わらぬうちに、外でピーッと按摩の吹く笛の音。

「ああ、按摩は嫌だと言うのに」

おしずは夜着をひっかぶって震えている。

「ええ、按摩はいかがでございます」

いつの間にか、呼んでもいない盲人が襖の前に立っていた。

「按摩は間に合ってるよ」

ト、彦三が追い返そうとする。

「ご病人がいらっしゃるように見えますがな。私もただでは帰られません。どうか、どなたでも構いませんので、揉ませてやってくださいまし」

しつこくせがむので、十兵衛がやってきて、

「わかった、わかった。私が引き受けよう。ちょうど旅から帰って、くたびれていたところだ。その代わり、終わったらすぐに帰ってくれ」
「分かりました」

十兵衛は隣の部屋に按摩を招いて、横になる。
按摩は足を揉みながら、

「だいぶ凝っておりますな。長旅でございましたろう」
「そうさ。京へ行って帰ってきたところだ」
「へえ。そうですか。私は京へは行ったことがございませんな」
「江戸から外へ出たこともなかろうに」
「いえいえ、東海道を鞠子宿までは行きました」

びっくりして振り返ろうとするト、按摩が手にぐいと力を入れる。

「痛い、痛い。痛てててて――。何をする」
「まだまだ、こんなものじゃねえ。骨と皮ばかりになるまで揉み殺してやるから、じっとしていろ」

その声は紛うことなき、文弥の声。

「痛てててて――。すまなかった。俺が悪かった。許してくれ、成仏してくれ――」

そこに薬鍋を手にした彦三が通りかかりまして、

「兄さん、どうしたんです」

キョトンとしておりますので、我に返るト、按摩の姿はすでにない。
するト、今度は奥の間から叫び声。

「誰か、誰か来て。按摩が、按摩がまた――」

慌てて駆けつけますト。
おしずが両手で顔を覆い、のたうち回っている。

「目が、目が――」

それ以来、おしずは目が見えなくなってしまい。
十兵衛は女中を雇い入れることにした。
やってきたのは一人の老婆。
名をおりくと申します。

「こういった奉公は初めてでございまして。私は何をすればよろしいのでございましょうか」
「おかみが目が見えないから、厠や風呂の世話をしてもらおう」
「さようでございますか。それならわけはございません。私も倅が盲でございまして」

十兵衛は思わずぞっとする。




「待て。倅の名は何という」
「文弥と申しまして、今頃は京にいるはずでございます。親思いの倅でございまして。私もこの着物の余りぎれで、財布を作って送り出してやりましたが――」

ト言っておりくは涙ぐむ。
十兵衛はその着物に見覚えがある。
あッと叫ぶ間もなく、奉公人が十兵衛を呼びに来る。

「旦那様。勘定を払わない客がおりまして」
「ああ、分かった。今行く」

渡りに船とばかりに、十兵衛はおりくの前から逃げ出しますト。
待っていたのは見覚えのある顔。

「あなたは――」
「俺の名は出さないほうが身のためじゃないのかい。勘定は払わねえぜ。金はそっちに預けてあるんだからな」
「どういうことです」
「しらばっくれちゃ困る。宇津ノ谷峠でこれが血に染まりかけていたのを拾ってきてやったんだ。その代金を受け取りに来た」

言われて、つくづくその顔を見ますト。
鞠子宿で盗みを働き、十兵衛に逃された、提婆の仁三でございます。
手にしているのは、十兵衛が確かに失くした煙草入れ。

「分かった。支度をするから、待て。金なら出そうが、ここにはない。神奈川宿の叔父の家まで来てもらう。今出れば、夜には着くだろう」

十兵衛は身支度を整えに奥の間に入る。
ト、待ち構えていたように、おしずが寄ってきてすがりつきます。

「お前さん、どこへ行くんだい」
「ちょっと用があって出かけてくるよ」
「目の不自由な女房を置いてかい。それなら私も一緒に行くよ」

おしずはどこか、なじるような口調で詰め寄ります。
十兵衛も不審に思いまして。

「何かあったのか。どうしてそんな疑うような言い方をする」
「お前さん、私を捨てて逃げる気だろう」
「逃げるだと」

おしずは探り探り、仏壇へ歩み寄りまして。
引き出しを開けるト、何かを取り出しました。

「ここに財布があるのを前から妙に思ってたんだよ。すると、さっきおりくさんと――」
「聞いていたのか」
「お前さん、人を殺しましたろう」

ト言ったおしずの顔が、徐々に凄まじく変化していきます。
見えない目を恨めしそうに、夫十兵衛の方へ差し向ける。

「宇津ノ谷峠で殺しましたろう。按摩の文弥を殺しましたろう」
「待て。どうして宇津ノ谷峠と知っている」
「人殺しッ――。十兵衛の人殺しッ――」
「静かにしろ」

十兵衛は思わず、おしずの口を手で押さえつける。
それでも黙ろうとしないので、ぐっと力を入れて押さえておりますト。
ううっ、ううっトもがいておりましたが――。

「しまった――」

我に返るト、おしずはぐったりしておりました。

夜。
十兵衛は提婆の仁三を連れて、寂しい街道を急いでいる。

やがて現れたのは、「南無妙法蓮華経」の七字。
大きな石塔に刻まれている。
ここは品川の外れ、鈴ヶ森刑場を横に見る。

「おい、十兵衛さん」

提婆の仁三が立ち止まる。

「どうして今、刀を抜いた」

振り返るト、十兵衛の手には抜身の道中差。

「いや、月明かりでも照らさないと、暗くて足元も見えないだろう」
「抜かしやがる」

仁三も慌てて抜きましたが、間に合わない。
土手っ腹に刀を差しこまれて、悪人がどっと倒れこんだ。

宇津ノ谷峠で文弥を殺して以来、おしず、仁三ト、これが三人目。
善良だった十兵衛は、捕まれば獄門という悪人に堕ちた。
こともあろうに、刑場の前。

そこへ、何者かが駆けてくる足音がする。
いよいよ、捕り手が追ってきたかト。
闇に夜目を光らせて身構えますト。
月明かりに少しずつ姿を現したのは、弟の彦三と若い女。

「待て」
「おや、兄さん」
「どこへ行く」

彦三はきまり悪そうに立ち止まる。

「駆け落ちか」
「どうしても弟に会いに行きたいと言うもんで」

うつむいている女を見て、十兵衛は観念いたしました。

「文弥は私が殺したよ」

捕り手に追われることのないまま。
因果に追いつめられた気がいたしまして。
十兵衛はすべてを打ち明けますト。
二人の前で自害して果てました。

十兵衛は最期まで知らずに終わりましたが。
文弥と古今の親父は、小兵衛という武家奉公人で。
十兵衛の旧主、尾花六郎左衛門をともに罠にはめた、筑田喜蔵の家来でございました。

見えない因縁で結ばれた者同士が、運命の皮肉に翻弄されるという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(河竹黙阿弥作ノ歌舞伎「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ。通称「文弥殺し」)」ヨリ)

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