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後家殺し

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こんな話がございます。

俗に、義太夫節は音曲の司(つかさ)などト申しまして。
聞いて楽しむのもよし、やって楽しむのもまたよしトいう。
お好きな方は寝食を忘れてのめり込みます。
素人にも本職顔負けの腕前の者がたくさんいる。

そもそもは大坂の竹本義太夫が初めた節付きの語り物で。
座付作者の近松門左衛門が、人形浄瑠璃の傑作をいくつも書きました。

ところで、これは浄瑠璃に限りませんが。
お客が芸人に掛け声をいたします時に。

「待ってましたッ」
「よッ、日本一ッ」

ナドと声を掛けますナ。

花火が上がれば、

「玉屋アァ」

ナドとも叫びます。

ところが、この義太夫を聞くときの掛け声はちょっと変わっている。

太夫(たゆう)が唸る。
徐々に場が盛り上がってまいりますト。
お客が間合いを見計らいまして。

「よッ、後家(ごけ)殺しッ」

ト、声を掛けます。
これが一番の褒め言葉だそうで。

そんな物騒な褒め方を。
何故するのかト申しますト。
後家(未亡人)をフラフラっとさせるほどの。
渋い声だトいう意味だそうで。

さてここに常吉ト申す、大の義太夫狂いがおりまして。
熱心に師匠の元へ稽古に通っておりました。

その稽古仲間に甚八ト申す男がおりまして。
これがある時、ひょいっと遊びに来た。

「どうだい、最近稽古の方は。俺はちょいと怠け癖が出てきたものだから、お師匠さんに叱られちまったよ。――時に、おかみさんはいるかい」

ト、窺うように尋ねる甚八の様子が、いつもと何やら違います。

「親戚に病人が出て、見舞いに行ってる。留守だよ」
「ああ、そうか。それなら、よかった」

妙にもったいぶった言い方をする。




「なんだ、それならよかったとは」
「いや、いちゃあ話しづらい。表通りの伊勢屋の後家だよ。知ってるぞ。いつの間にか、いい仲だって言うじゃねえか。食えねえやつだ」
「ああ、その話か」

ト、意外にも常吉はあっけらかんとしております。

「あれなら、女房も知ってるさ」
「なにッ」
「まあ、せっかくだから、馴れ初めでも聞かせてやろう」

やけに落ち着いた風を気取って、常吉が語りだす。

「あれはそう、三年前だ。三味線弾きの吉蔵が、一緒に来てくれと言う。どこだと言うと、伊勢屋で義太夫の会があるんだと言う。あそこの死んだ亭主は、素人ながら名人だったろう。その後家さんに聞かせるのはなんだか気が引けたが、吉蔵がどうしてもというので付き合った」
「ふんふん」
「前に何人か出て演って、その後俺の番になる。『三十三間堂棟木の由来、平太郎住家の段』と口上を言う。と、年の頃二十七、八の色の白い良い女が、満座の中にひと際光彩を放っている。あれは誰だいと吉蔵に小声で尋ねると、あれがこの家の主の後家さんだと言う。その後家が俺の口上を聞くや、『あら、嬉しい。旦那様が十八番(おはこ)にしていたが、また聞けるんだねえ』と隣りにいた女中に囁いたのが、すっかり聞こえた」
「そいつはやりにくかったろう」

聞いていた甚八が、ここぞとばかりに口を出す。

「そうさ。どうせ死んだ亭主と比べられて笑われるんだろうと思いながら、それでも覚悟を決めてやってみると、あに図らんやというやつだ」
「どうした」
「その後家が、うっとりした様子で耳を傾けながら、俺の調子に合わせて体を揺り動かしている。あれは旦那を思い出しているんじゃねえ。俺の芸に惚れてるなと、ピンと来た」
「随分、思い上がったやつだな」

嘲り笑う甚八に、常吉はいかにも自慢げに。

「いや、そんなことはない。それが証拠に、その日の会が終わった後、俺と吉蔵だけ酒を馳走にあずかった」
「いやしそうな顔をしてたからだろう」
「それが、次の日だ。また吉蔵が来て、『今度は二人で来てくださいと、伊勢屋の後家が呼んでいる』と言う。それから毎日のように呼ばれては、忠臣蔵やらお初徳兵衛やらを語る。そのうちに、ある時から俺一人が呼ばれるようになった」
「ほう、それで」
「その日はもう義太夫はいいという。酒と肴を振る舞われて、良い心持ちに酔ってくると――」
「うん、酔ってくると――」

ト、甚八も思わず身を乗り出します。

「俺の肩にしなだれかかってくるじゃねえか」
「うむ」
「見ると、いつの間にか長襦袢に羽織を一枚羽織ったきり」
「むむ」
「それが三年前のことよ」

甚八が思わず生唾を飲み込んだ。

「それからは、トントントンと裏の木戸を三つ叩くのが二人の合図――」

義太夫を唸るように常吉が、徐々に長子に乗り出しまして。

「ああ、もういい。馴れ初めはわかった。しかし、かみさんも知っているたあ、どういうことだ」
「面倒になると困るから、かみさんに正直に打ち明けた。それが功を奏したんだろう。陰でコソコソされるよりはと、あっさり認めてくれたのさ。すると、伊勢屋の方でもわきまえたもので、こちらは妾宅、そちらは本宅と、盆暮れの贈り物を欠かさず贈ってくる。かみさんも妹のように可愛がってらあね」

どこまで本当か知れたものではございませんが。
常吉は勝ち誇ったように胸を張る。

ところが、その様子を見た甚八の目から。
不敵な笑みがこぼれていることを。
常吉はまるで気づいていない。

――チョット、一息つきまして。

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