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江ノ島 稚児ヶ淵の由来

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どこまでお話しましたか。
そうそう、鎌倉建長寺の僧自休が、江ノ島参詣中に美しい稚児白菊を見初め、煩悩に悶え苦しむところまでで――。

自休はそのように身勝手に歪んだ情理を、固い信念に作り変えまして。
ある時、白菊の住む相承院を、思い切ってみずから訪ねていきました。

鶴岡八幡宮の北西に、かつて二十五を数えた僧坊がございまして。
足利時代に著しく衰えましたが、江戸開府後に十二まで再興されました。
そのうちのひとつが、白菊の住む相承院でございます。
坊号を頓覚坊ト申します。

自休は小さくなって、諸院の間を縫うようにして進んでいく。
門前を掃き清める小僧や、用足しに出るらしい和尚とすれ違うたびに。
好奇の目と遠回しの非難に晒されているような心持ちになる。
自休はいたたまれない思いで、一層、身を縮こまらせた。

「建長寺の僧、自休と申す。学僧の白菊殿がいらっしゃったら、お取次を願いたい」

突然現れた見慣れぬ老僧に、誰もが眉を顰めます。

くすくすと笑う者もある。
こそこそと噂話をする者もある。

初めに出てきた者が奥へ入っていってから、だいぶ時間がたちました。

自休もそろそろ焦れ始めた頃。
兄弟子らしき僧に寄り添われて。
ついに白菊がおずおずとやってきた。

その姿を見て、自休はようやく我に返りました。

待ち焦がれていた白菊の面影が。
あの崖の上で見た息を呑む美しさとは。
まるで別物だったからでございます。

青白い顔を脂汗で濡らしている。
両のまなこは恐怖で歪んでいる。
口元がわなわなと震えている。

「あ、あの――。いったい、な、何の用です」

その声までが震えている。
自休はただただ申し訳ない気持ちになり、

「文を持参いたした。どうかお収めいただきたい」

ト、懐から取り出して白菊の胸の前へ差し出しましたが。

白菊は思わずのけぞって。
穢らわしいものから身を避けでもするように。
眉をしかめてただ見ておりましたが。

やがて迷惑そうな兄弟子に促されまして。
渋々と文を受け取りますと。
指先で摘んでさっと腰の後ろに回しました。

自休は恥ずかしさに消え入りたい気持ちになりまして。
逃げるようにして己の庵へ駆け戻っていく。

――あの麗しい容貌を、己は恐怖に染めてしまった。

自休は深い悔悟に陥りましたが。
かと言って、恋慕の情が治まるわけでもございません。
むしろ、受け入れられなかった惨めさのために。
かえって想いを深めていきました。

自休は翌日も、翌日も、その翌日も――。




老体に鞭打って、相承院を訪ねては。
もはや現れもしない白菊あてに文を託す。

届いているかどうかも分かりません。
それでも飽くことなく、けなげな百日詣を。
ひと月、ふた月、半年と続けておりましたが。

ある日のことでございます。

今日も懲りずに門をくぐる自休に、供僧たちが駆け寄った。

「あなた、それどころじゃありません。大変なことになりました」

ト言ったきり、自休には目もくれず。
皆、一目散に駆け出していく。

自休は胸騒ぎがする。

袈裟衣の裾をたくし上げて、必死になって後をつけていく。
こけつまろびつ、こけつまろびつ――。

供僧たちがたどり着いたのは。
果たして江ノ島の断崖の上。
あの日、自休が白菊を初めて見た場所でございます。

「ここから身を投げる前、渡し船の船頭にこれを託したそうでございます」

自休は手渡された扇をつくづく見る。
そこには、辞世の歌が二首、書き遺されていた。

「白菊にしのぶの里の人問はば 思ひ入り江の島と答へよ」
(信夫の里の人が白菊の行方を尋ねたなら、思い詰めた末に江ノ島の海に入ったとお答えください)

「うき事を思ひ入江の島かげに すつる命は波の下草」
(嫌な思いを断って島の陰に命を捨てます。波の下に隠れるのですから、もう会うこともないでしょう)

この歌の真意をどう受け止めるか。
それはもはやその者次第でございましょうナ。
もし、これが私なら――。
イヤ、やめておきましょう。

自休は崖の上から海を覗き込んで見る。

白波が岩肌に激しく打ち付けている。
しぶきを上げて、千々に砕けていく。
その波間にふと一刹那。
愛しい白菊の姿が見えたような気がした。

「白菊の花の情けの深き海に ともに入江の島ぞうれしき」

自休もまた歌を詠みまして。
人々の手を振り払い。
崖から身を投げ、波の中に呑まれていった。

しがらみや戒めから初めて解き放たれた人のように。
その表情は穏やかで晴れやかであったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(相州ノ伝説ヨリ。四代目鶴屋南北作ノ歌舞伎「桜姫東文章」、河竹黙阿弥作ノ歌舞伎「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ。別題「弁天娘女男白浪」、通称「弁天小僧」)」ナドノ原拠ナリ)

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