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阿弥陀の聖

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こんな話がございます。
平安の昔の話でございます。

さる国の山中をひとり行く僧形の者がございました。
鹿の角を付けた杖を突き、鉦を叩いて諸国を廻る。
方々で阿弥陀如来の本願を説いて歩きます。
世にいう念仏聖(ひじり)でございますナ。

さて、この壮年の聖の少し先を、旅の荷物を背負った男がひとり。
少し歩いては振り返り、少し歩いてはこちらを振り返りしております。

「さて、あの男はどうしてこちらをちらほら窺っているのであろうか」

ト、聖も奇妙に思し召さるる。

人気(ひとけ)もない森の中の一本道でございます。
後ろをしきりに気にしているということは。
とりもなおさず、聖の存在を気にしているのに違いない。

「あの者も阿弥陀仏の救いを求めているのであろう」

聖はそう合点いたしまして。
そのうち追いつくであろう。
その時は求めに応じてやろう。
ト、考えた。

やがて道は坂に差し掛かる。
その坂を登りつめたところで男が座って休んでいる。

聖は男が声を掛けてくるだろうト。
ゆっくり登っていきましたが。
聖が坂の上へ姿を見せましても。
男は興味もなさげに、ただうつむいて昼飯を食っている。

「してみると、私を見ていたのではなさそうだ」

そう思って、男の前を通り過ぎようとしたその時。
男が不意に頭をもたげて、聖を見た。

「上人様。お待ちなせえ」

人の肩口に鈎でも引っ掛けるような物言いで。

しかし、そこはさすがに阿弥陀の聖。
まるで動じることもなく、静かに立ち止まるト。
穏やかな表情で男を振り返りました。

「こんな食いさしで良かったら、一緒にお上がんなさい」

男は座っていた切り株を聖に譲り。
己は地べたに座り込んだ。
聖はありがたく握り飯を受け取って口に入れる。
男は何を言うのでもなく、ただ黙々と飯を食っている。

やがて、男はすっかり食い終わりますト。
聖がまだ召し上がっているのもお構いなしに。
すっと立ち上がって、こちらを見下ろした。

「おい、三太。お前随分久しぶりじゃねえか」

聖は、その声に思わずゾッとする。
顔から血の気がさあっと引く。
入れ替わりに冷や汗がじわあっと滲み出てまいります。




「お前、随分お偉くなったなあ。なんだ、坊主をやってるのか。どうだ、儲かるか」

聖は明らかに目が泳いでおりますが。
まるでそうとは悟られまいとでもするかのように。

「さて、どこでお会いしましたかな」

ト、言っておいて、すぐに苦い表情をした。

「ほう。わざと言わずにいてやっているのに、どうもお前には人の恩が通じないものと見える。しらを切る気なら教えてやろう。お前は昔、俺と一緒に――」
「待て」

聖が男の言葉を遮った。

「そうか。それなら言わずにいてやろう。だが、俺にも頼みがある。あれからこっち、俺も商売上がったりでな。旅商人の真似事をしているが、さっぱり金にならねえ。どうだ。俺を仲間に入れてくれねえか」

うッと聖は言葉を呑む。

「なに。迷惑はかけねえさ。お前の評判はあちらこちらで聞いている。人を集めてくれりゃあいい。俺が脇で喜捨を受け取って回る。お前は説教に専念できる。金はもちろん山分けだ。どうだ、いい話じゃねえか」

男はこちらを見下ろして、ニヤニヤと返答を待っている。
聖はただ一言、

「断る」

ト言って立ち上がり、男を置いて立ち去った。

男は荷物を背負って、すがるように後からついてくる。

「おっと、待ちなよ。あんまり邪険にするとためにならねえぜ。お前の過去は俺が全部握ってるんだ」

聖は突然、立ち止まる。
男が聖の背中に顔をぶつけてよろけました。

その刹那、聖が杖を振りかざす。
杖の先には道の険しさに備えて、鉄錐が付いている。
それを相手の喉元めがけて振り下ろしたものだからたまらない。
男は空を掴む間もなく、その場にドサッと倒れ込んだ。

「あの世で親孝行でもしろッ」

聖、もとい碓氷の三太は、声を殺して男に吐き捨てる。
男はもう、ものを言いません。

――チョット、一息つきまして。

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