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蘭陵王の婿

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どこまでお話しましたか。
そうそう、美貌と財産とを兼ね備えた娘のもとへ通っていた男の前に、ある夜突然、仮面を被った大男が現れたところまでで――。

大猿のように飛び出した眼。
龍のように突き出した口。
剥き出しの牙。
うねる髭。

蘭陵王がその野蛮さと獰猛さをもって。
敵陣を突破したというおぞましい面。

青、緑、赤にいろどられたその奇怪な面が。
すっかり小さくなってしまった若い男を。
キッと睨むように見下ろしている。

「待て。慌てるな。まずはその震えた刀をしまえ。怪しい者ではない。そもそも、お前ごときが敵うような相手ではないぞ」

蘭陵王の仮面の男が、若者を諌めるように言う。
娘は夜着を頭からひっかぶって震えている。

「娘よ。お前の夫を悪いようにはしない。まあ、二人で聞くが良い」

蘭陵王の意外にも情感のこもったその言葉に。
夜着の中の娘の震えがやっと止まる。

「若い人よ」

蘭陵王が男に呼びかけた。

「聞いての通り、これはおれの実の娘だ。母親はすでにこの世にいない。不甲斐ない父親のために、寂しい思いをさせるのが辛くてな。こうして屋敷を与えて住まわせたのだ。そこへ幸いにもお前という男が現れた」

男はそこでようやく、知りました。
己は初めからこの屋敷にとって。
飛んで火に入る夏の虫だったのだと。

「ところが、お前にしたところで、いつ心変わりして現れなくなるか分からない。だから今日までおれは黙って様子を見守ってきた」

蘭陵王の面がじっと見ている。

「おまえに求めることはただ一つだ。おれの娘を愛し、子孫を殖やせ」

若い男は、夜着にくるまった娘を見た。
愛しい妻は聞き耳を立てるかのように。
その中でじっと固まっている。

「それさえ守ってくれれば、おれの財産は自由にして良い」

蛇に睨まれた蛙のように。
男は蘭陵王を見返している。

「ところが、もし――」

ト言って、蘭陵王が身をかがめて顔を近づけてきた。

「もし、このおれのことを口外したり、この屋敷から逃げ出したりしたら――」

男は息を呑む。




「命はないから、そう思えよ」

蘭陵王は握っていた拳を男の前で開いてみせる。
その手のひらには、鍵が六つ。

「蔵の鍵だ。これからはお前が持て」

若者は鍵を受け取る。
その手がやはり震えている。

「家中至る所で手下たちがお前を見張っている。もちろん、このおれもだ」

それ以来、男はこの屋敷に住むようになり。
日が暮れれば、妻と閨に入って愛を語らう。

ト、愛のためばかりではございません。

子孫を殖やせという命に背けば。
我が身が危険に晒されるからで。

ことを終え、妻の小さな身体を胸に抱く。

――あの舅は一体何者なのか。
どうして、顔を隠しているのか。
世間をはばかる大盗賊だろうか。
はたまた、流刑地から逃げてきた貴人でもあろうか――

夜の闇の中。
見えない天井をじっと見つめているト。
まるでそこに、飛び出た二つの目玉があるようで。

恐ろしくなって顔を背けるト。
その向いた先、障子にも目玉があるようで。

慌てて妻の方へ向き直るト。
やはり、その小さな顔にも二つの目玉が。
妖しく光っているような気がしてしまう。

暮らしには困らない。
生涯遊んで暮らせる富はある。
だが、しかし――。

女は夜を重ねるごとに生き生きとしていきましたが。
反面、男は日を追うごとに痩せ細っていった。

「――トいうわけだ」
「なるほど。しかし、お前はやはりその屋敷へ戻ったほうが良い」

ある日、男は耐えられなくなって、逃げてまいりまして。
初めに縁談を持ち込んだ友に、助けを求めて打ち明けた。

「やはり戻ったほうが良いと思うか」
「ああ、そうだな。二つの意味で」

その後、男は再び姿をくらましまして。
二度と友の前に現れることはなかったという。

そんなよくあるはなし――。
もとい、余苦在話でございます。

(「今昔物語集」巻二十九第四『世に隠れたる人の聟と成る語』ヨリ)

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