::お知らせ:: 画師略伝 葛飾北斎 ―画狂老人は一処に安住せず― を追加しました
 

蓮華往生

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こんな話がございます。

世の中誰もが最後はいずれ死にますが。
同じ死ぬならせめて穏やかに死んでいきたいト。
やはり誰もが願っていることでございましょう。

中には、金を積んででも。
満ち足りた死を得ようとする。
そんな御仁もいらっしゃるようで。

役者の初代尾上菊五郎は、もと上方の人でございます。
京都の芝居茶屋の出方、つまり接待役の家に生まれまして。
後に江戸でも知られる大看板となりました。

さて、この菊五郎には愛息がございまして。
名を丑之助ト申しましたが。
これが父に勝るとも劣らぬ美男子でございます。
十六歳の頃には、忠臣蔵の力弥の役で大評判をとりました。

やがて、菊五郎丑之助父子は人に招かれまして。
江戸に進出することになりましたが。

父子の上方なまりが、江戸っ子にはどうも鼻につく。
父は芸の力で補えましょうが、丑之助はまだ若い。

そこで、市村熊次郎という踊りの師匠のもとへ。
丑之助は稽古に出ることとなりました。
仕草からまず江戸っ子になりきろうという魂胆で。

丑之助は父譲りの生真面目な性分でございますから。
父や江戸で世話になる人たちの期待に答えようと必死になる。
毎日、鎧の渡しから霊岸島の市村の家へと通っていきますが。

好事魔多しとはよく言ったもので。

この市村の隣家に三河屋喜兵衛ト申す者が住んでいる。
櫛笄ナドを売り歩く、いわゆる小間物屋でございます。
上物ばかりを取扱い、諸方のお屋敷に出入りするという。
チョットした小金持ちでございますが。

この三河屋に娘がひとりございます。
名をお梅ト申す、これがまた比類なき別嬪で。
その上、育ちもいいと来ております。
これが、隣家のよしみから、熊次郎のもとへ稽古に通っておりました。

世の中、美男美女というものは。
惹かれ合うように出来ているんでしょうナ。
間もなく、若い二人が良い仲になる。

するト、これを憎々しく思う者が現れます。
伝吉ト申す、出入りの商人(あきんど)でございます。

この伝吉は二親に早く死なれまして。
ほんの幼い時分から、天秤一つで商いをしている。
その殊勝な心掛けに三河屋夫婦が惚れ込みまして。
末はお梅の婿に迎えるト、早くから言いくるめていたのでございます。

伝吉にしても、何も木の股から生まれたわけではございません。

金持ちの婿に迎えられるだけでも、舞い上がりそうなのが。
かてて加えて、許婚が美人ときております。
これでのぼせるなという方が無理がある。
いつか己の女房になるものト、信じて今日まで暮らしてきた。

それが上方から下ってきた美男の役者が。
脇からさらっていったのだからたまらない。
悔しさが、やがて殺意へと変わっていきました。

ある新月の晩のこと。

すっかり頭に血が上った伝吉は。
台所から出刃包丁を持ち出しまして。
手ぬぐいに包んで懐へしまう。
霊岸島を飛び出すト、葺屋町の芝居町へやってきた。




すでに芝居ははねている。
小屋は戸を下ろしている。
代わってあちこちの芝居茶屋が。
ヤンヤと賑わっておりますが。

この内のどこかで丑之助が。
贔屓客に招かれて飯を食っていることを。
伝吉はすっかり調べ上げて知っている。

「丑之助さん、丑之助さん」

茶屋の二階から嬌声が漏れる。
大方、芸者と戯れているのでございましょう。
伝吉は座敷の騒ぎが静まるのを待とうト。
物陰に身を潜めていた。

やがて、二階の騒ぎが落ち着いた頃。
一階の障子戸をガラリと開ける音。
御高祖頭巾に隠れて顔は見えないが。
羽織の紋は音羽屋の、重ね扇に抱き柏。

「丑之助ッ、覚悟ッ――」

ズブリッと土手っ腹に確かな手応え。
勝ち誇ったように相手の顔を見下ろすト。
豈図らんや、それは丑之助ではございません。
父の菊五郎が悶え苦しんでいる。

伝吉はサッと血相を変え。
走り去って、そのまま姿を消しました。

騒ぎを聞きつけて、二階から。
丑之助らが駆け下りてくる。

「騒ぐな。話がある。丑之助、これが最期になるからよく聞けよ」

息も絶え絶えの菊五郎は。
介抱しようとする人々の手を払いのけ。
倅、丑之助の目をじっと見据えます。

「丑之助、実はな。お前はわしの本当の子ではないのだ」

倅は思わず言葉を失う。

「お前はな、わしの妾が義堂と申す僧との間にもうけた子なのだ」

その場に居合わせた者たちも。
あまりのことに顔を見合わせます。

「だが、わしはお前に二代目を継がせようと、今日まで必死に育ててきた。わしの思いを決して無駄にはしてくれるなよ」

丑之助は大きく頷いて、父に誓いを立てる。
菊五郎はその姿を見て、安心して目を瞑りますト。
そのまま黄泉の客トなりました。

ところが、その思いとは裏腹に。
これが丑之助転落の第一歩となるという。

――チョット、一息つきまして。

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